第336回:コトバの価値

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先日電車で、たまたま隣に立った大学生らしき女子4人組の会話が耳に入ってきた。念のために言うが、聞き耳を立てていたわけじゃない。聞こえてきちゃったのだ。どうやら3人とも帰国子女のようで、会話のところどころ、そこ英語にする必要あるの?っていうところで英語が登場した。“It was the first time that I went to TORIKIZOKU.”とかなんとか。「初めて鳥貴族行ったんだ~」って言えばいいじゃん、と心の中でツッコミを入れながら僕は聞くともなしに聞いた。話題のほとんどはクラスやら部活やらでの恋愛ネタ。

「○○君は○○ちゃんのことが好きだけど、○○ちゃんは△△君が好きで・・・」

「この前○○君とデート行ってみたけど・・・」

日常生活の中によくそんなに色恋沙汰が転がっているものだと感心する。自分が学生の頃なんか、授業と柔道とご飯のことくらいしか頭になかった。世の中には実に色んな種類のキャンパスライフがあるものだ。

結局小一時間ほど隣り合わせた彼女たちのごく平凡な会話の中に、一つ心に刺さる一節があった。“彼氏に求める条件”についての話題である。一人の子が、第一条件として、英語が話せることを挙げたのだ。最初は、まったく帰国は・・・と少し捻くれて聞いた僕だが、それが単なるワガママ的理由ではないことに虚を突かれた。彼女は

「英語で会話が出来るのがもちろん楽なんだけど、それ以上に、英語を喋ることによって付いてくる感性や文化が私には必要なの。」

と言った。なるほどな~と思った。言語は単なるコミュニケーションツールではないのだ。言葉の背景には感性や文化があり、言葉を選ぶ人の人格がある。だから世界を相手に考えるなら、通訳を介して意味が通じる、というだけじゃダメなのだ。自分で喋れるようにならないと。今年度、自分なりに勉強して少しずつ手ごたえを感じるようになってきた英語、もっともっと頑張ろうと自分に気合を入れた。電車の彼女たちに感謝、である。(彼女たちの彼氏条件に見合うようになりたい、ということじゃないよ)