実力と肩書


不振に喘ぐイチロー選手を見ているとスポーツの世界の厳しさを感じる。昨年まで10年連続年間200安打を続けてきても、今後どうなるかはわからない。不調が来年も続けばメジャーリーグでプレーを続けられるかどうかの保証もない。チームのレギュラーとして残り続けるためには、常に自分の能力を証明し続けなければいけない。頑張っているからとかファンサービスをしているから、とか野球以外の要素で、評価される部分は非常に小さい。素振りを毎日、何百回、何千回としても試合で打たなければ全く評価されない。

しかし、厳しい半面、そういうプロの世界で仕事をする人は、自分が本当にすべきことに集中できるという意味で幸せである。組織の中で仕事をする多くの人は仕事をする上で自分が本質的でない部分に費やす時間が多いと感じているはずだ。自分の成果を明確に数字で表すことが難しい場合が多く、どうしても上司や周りに自分の成果を示すための作業が必要になる。数字が勝手に物語ってはくれないのである。その結果、仕事の本質の部分ができていなくても自分の成果を上手に表現することで出世することがある。

政治家もその成果が客観的にわかりやすいものであればよいのだが政治家の業績を評価するのは非常に難しい。結果、本来政治家にとって最も大事なはずの政治における業績が選挙の勝敗を分けることはあまりない。ほとんどの場合、本来評価すべきでないところで評価される。

研究者の世界もあまり本質的でないところで昇進が決まっている印象がある。もちろん論文の採用数等の客観的な基準はあるだろうが政治的な要素もかなり大きいように見える。

そういうことを考えると世の中の肩書は一般的に信用に足るとされているものでも実は信用ならないものが多い。外科医の教授というと手術が上手なように思えてしまうが、教授になるために手術の試験が課されるといったことがない限り、教授の手術が上手いとは限らない。

ただ、そうはいっても手術の巧拙が数値化されているわけではないため多くの場合、肩書を頼りにして実力の判断が行われる。肩書で判断されることが多くなると自分の実力とは関係なしに肩書を欲しがる人が増える。学歴や資格も同様の意味を持つ。実力を身につけることよりも名前を得ることが優先されるようになる。

肩書があることで便利なことがあることは否定しない。資格についてはそもそも持っていないと法的な観点から行うことが許されない事項もあるので、それを行うために資格を欲しがることについては特に言うこともない。しかし、名前を得ることは本質的にその人の評価を上げるものではなく、もし実力が伴わなければいずれわかるものだ。

金メダルを追っているとどうしても金メダルが欲しくなるが本当に欲しいのは金メダルではなく、「ナンバーワンの実力」であるはず。皆が認めるナンバーワンが他にいるときに金メダルを得ても空しいだけで意味がない。突き詰めていくと本当に欲しいのは肩書ではなく、実力であると認識するようになる。


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洋々代表。日本アイ・ビー・エム株式会社にて、海外のエンジニアに対する技術支援を行う。その後、eラーニングを中心とした教材開発に、コンテンツ・システムの両面から携わる。 東京大学工学部電子情報工学科卒。ロンドンビジネススクール経営学修士(MBA)。