苦しいトレーニングを楽しむ


何かの技能を身に着けるためのトレーニングは多くの場合あまり楽しいものではない。なぜなら自分のできないところや苦手なところを重点的に練習する必要があるからだ。ピアノで自分のうまく弾けないところを何度も繰り返すのは苦痛だし、テニスでどうしてもうまくできないバックハンドの練習ばかり行うのも楽しくない。できることなら上手に弾ける曲を気持ちよく弾きたいし、得意なフォアハンドでラリーを続けたい。しかし、大した苦労をしなくてもこなすことのできるコンフォートゾーンでいくら練習を積んでも大きな進歩は見込めない。能力を伸ばすためには限界ぎりぎりのところで行うトレーニングが必要になる。そういったトレーニングは集中力を要するし、肉体的にも精神的にもきつい。

その道で一流とよばれる人にとってもコンフォートゾーンの外でのトレーニングは全く楽しくないらしい。それでも長期に亘って続けることができるのはトレーニング自体を楽しむというよりはその成果や自分の成長を楽しむことができるからだろう。どんなに練習がきつくても本当に実現したいことがあってその練習によって自分の目指すところに近づけると思えば耐えられる。

そういう意味で厳しいトレーニングの意義を否定するつもりはないが、厳しいからいいトレーニングになるかというとそうとは限らない。日本の中高生の部活には苦行のための苦行のような側面があるものも珍しくない。練習中に水を飲んではいけないというような理不尽な指導はさすがになくなりつつあるとは思うが、自分の限界ぎりぎりのところでやるからきつい、というのではなく、練習時間が無駄に長かったり、明確な目標なく長距離を走らされたりというケースもある。部活だけでなく勉強面においても特に日本の中学高校ではきついことに耐えることが大事、という価値観が未だにある。きついトレーニングはやむを得ず必要になるのであって、それ自体が目的ではない。

自分自身の経験を振り返ると何かを習得するための時間は苦しいばかりではなく、わくわくしながら能力が伸びていくこともあったような気はする。ただ、順調に伸びているときは楽しく感じるけれど多くの場合努力しても伸びない停滞期があるだろうからそういうときはおそらく苦しみの方が大きい

苦しいとか楽しいとかは明確に分けられるものではないとも思う。マラソンを走っていて苦しくない人はいないと思うがそれでもマラソンを「楽しむ」人は多い。登山を趣味にする人も多いがそういった人たちも苦しみながら登ることを「楽しむ」。技能の習得や自己の成長を目指すとどうしても苦しい場面が出てくる。苦しさを乗り越えなければいけない、という悲壮な気持ちではなく、目標を達成するためにやるべきことをやるという現実的な気持ちで取り組み、さらに可能であればそのプロセスを楽しむことができるといい。


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