大叔母の日記

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毎日日記をつけています。という話は、以前もこのブログでしたことがあります。

最近、日記帳を変えました。無印良品に売っているスケジュール帳を日記帳として使っています。これは、2年前に亡くなった大叔母が使っていた日記帳と同じものです。

なぜこんなことを始めたかというと、これは卒業プロジェクトの一環なのです。卒業プロジェクトで、大叔母の遺品について研究をしようと思っています。

大叔母は、毎日日記をつけていました。研究の一環で、そして半分は趣味で、大叔母と全く同じフォーマットで日記を毎日書いてみる、ということを始めたのです。毎日夜に、その日にあったことを日記に書きます。そして、3年前の大叔母の日記帳の、同じ日の日記を読みます。今日だったら、2015年3月31日の大叔母の日記を読む、ということ。これを、今年の2月から毎日やっています。大叔母の「日記を書く」という行動をトレースするような感じです。

やってみると、「おばさんはいつも何時くらいに日記を書いていたのかな」とか、「いつもどういう体勢で書いてたんだろう」など、大叔母が日記を書いていた情景を想像するようになりました。行動をトレースすると、今まで見えていた日記という表面の記録の、背後の文脈に目が行くようになるんですね。日記以外でもいろいろトレースしたらおもしろいのかなあ、と思います。大叔母が通っていたのと同じ美容院で同じ髪型にしてみる、とか。やってみようかな。

それから、自分が日記を書くときは、どうしても情報を取捨選択することになります。日記に書かれるのは「今日は神楽坂であんみつを食べた」だけでも、実際には14時に友だちと駅で待ち合わせて、友だちがかわいい緑のスカートを履いていたので「スカートかわいいね」と褒めた、みたいな、細かい思い出もたくさんあります。全部書いているとキリがないから、どうしても細かいことは切り捨てられます。大叔母の日記も、日記を読むだけで大叔母の生活を覗けたような気持ちになっていたのですが、ここには書かれていない細かい思い出がたくさんある、ということが感じられるようになりました。

他にも、自分が嫌なことがあって落ち込んだ日に、大叔母の日記でも「嫌なことがあった」と書いてあると、なんだか仲間ができたような気がして安心したり、「今日は天気が良くて気分が良くて」みたいな嬉しそうな日記だと、こっちまで、良い日を過ごしたんだなあ、よかったね、と嬉しくなったり。大叔母との距離が近くなったような気がします。

このまま研究がどこへ向かうのか、まだ全然わからないのですが、こんな風に少しずつ卒業プロジェクトが進み始めています。今のところ、楽しいです。来年の今頃、どんな論文(作品?)ができあがっているか楽しみです。