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洋々LABO > 洋々コラム > ホリエッティの「三大陸周遊記」<死語の世界>その2

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5)ギリシア語:大学の授業科目として設置されている「ギリシア語」とは古典ギリシア語のことである。これは、プラトン、アリストテレスなど紀元前5~4世紀の黄金期アテネを中心に使われていたアッティカ方言だから、いまは死語である。現代ギリシア語を教える大学は、まずないと言ってよい。だから、ギリシア人彼氏・彼女のためにやるものでもなければ、ギリシア旅行前に学ぶものでもない。学問語なのである。

ただ、この死語に通じるとインド=ヨーロッパ語族(仏語、独語、伊語、サンスクリット、ペルシア語などもこの中に入る)の単語・構文がレントゲンを通すかのように透けて見えてくる。「アスファルト」、「プロテイン」、「カイロ・プラクティック」、「タラソ・セラピー」もギリシア語に由来すると後日、悟った。

必修科目として英語週3コマ、ドイツ語2コマの他、自由科目のフランス語に加え、大学学部1年から、この古典語に挑戦し爾来、生涯付き合う羽目になった。日本で9年、諸先生を9人渡り歩き、ドイツで3年、フランスで2年、イタリアで1年磨きをかけたので、特技と称しても許されるかもしれない。日本で言えば、縄文時代から弥生時代に移り行くころの言語である。ちなみに、新約聖書のギリシア語は「コイネー」と言って、ヘレニズム時代に平易になって普及したものである。

6)ラテン語:ラテン語は、古代哲学を専攻するなら、英、独・仏に加え、ギリシア語と並んで習得すべき必須5言語の一つと言われていたので、なんら疑うことなく、「古典語研究会」という同好会を学部一年次に立ちあげて、友と切磋琢磨し、身につけた。こいつも死語である。

ただし、ヴァチカンとか上智大学のイエズス会神父の間では、いまだにラテン語で会話しているらしい。長い間、ヨーロッパの学術語として君臨していたので、現代語の本の前書きがラテン語で書かれることもある。

権威ある言葉の借用として、早稲田や慶應の図書館にも「読むことによって、知の何たるか学べ」(quae sit sapientia disce legendo)、「ペンは剣よりも強し」(calamus gladio fortior)など、ラテン語の銘が刻まれているのである。学部3年のときに、トマス・アクィナスの『神学大全』を原文で読むゼミを正規科目として、わざわざ作ってもらった。ところが、一年経たないうちに、その教授から学ぶものがなくなったので出席しなくなったら、のちに相当皮肉を言われた。

7)オランダ語:日本で大学院修士課程2年、博士課程3年を終えてドイツ留学が始まると、新しい言語に触手を伸ばす気になった。

取り組んでいた古代哲学のギリシア語原典にオランダ語訳があることを知り、さっそく文法書と蘭独・独蘭辞典を購入し、オランダ語を独習した。プロティノスの「摂理」をめぐる註釈書はオランダ語のものしかないので、やはり、ここで手を出しておいてよかった。

独文科の日本人の友人(現慶應経済学部教授)は、大学の科目として「オランダ語」を履修してみたものの、「ドイツ人にとっては近親言語らしく、零からみな始めたはずなのに、一学期末試験は、もう新聞を読まされて、教授と会話をするのが単位取得の条件だと、その速さに驚いていた。

8)イタリア語:ベルリンに着いて、初めてオペラなるものを観た。これは面白かった。ハマった。ドイチェ・オパーのほとんどの演目は2000円位の学生券で観ることが可能だったのだ。ベルリンの土地柄か、ペア・シートで男同士いちゃいちゃしていた光景も懐かしい。

「カルメン」「蝶々夫人」「アイーダ」などという日本でもお馴染みのものだけでなく、グノーの「ファウスト」、ヴェーバーの「魔弾の射手」なんて覚えた。ワルツの場面、地獄落ちの場面など、アリアに演出に衣裳に本当、惹き込まれた。劇場を出ると真似して踊って転倒し、笑われたこともあった。愉快だった。

セリフのイタリア語が気になった・気に入った。是非とも学びたくなった。週3コマ朝1限は、超夜型の私としては辛いものがあったが、ネイティヴ・スピーカーのミニスカおねえさんが先生だったので、苦にならなかった。

日本人は一人だったせいか、すぐ名前を覚えられ、「サトーシ、サトーシィ !」と当ててもらったので、俄然やる気が出た。不純な動機だ。でも、これが遠縁か、のちにピサ大学に客員教授として1年滞在することに繋がっていたのだ。

9)アラビア語:印欧語はもうどれも大丈夫、といういい加減な自信は、初のセム語へと向かわせた。まずは、アラビア語だった。ギリシア哲学の影響史に取り組む際に、大きな武器になることもうすうす感づいていた。30人くらいのドイツ人に混じっての履修だった。

先生はベルリン方言で話していた。「とってもよい」のganz gutは「ガンツ・グート」でなく、「ヤンツ・ユート」という具合である。毎回、脱落者が出た。ギリシア語やラテン語の授業ではよくみられる現象だ。

100人が50人、50人が25人、25人が13人という風に減って行くので、<ギリシア語半減の法則>という伝説も囁かれているが、アラビア語は古典ギリシア語の倍くらい大変だった。まず、単語の意味の類推が効かない。発音や文字は意外に問題ない。基本的に子音しか表記しないので、単語力と文法力で複数解釈の可能性のあるなかから正解を選び出すのが至難の技だ。英文を読んでいて生徒が「せんせい~、一行のほとんど全単語を辞書で引かなきゃならないんですけれど・・・」などと泣き言をよくいうが、「そんなの甘い!」、アラビア語は最初、単語ごとに辞書を3回も4回も引かないと、原形を見つけることができないのだ。

ドイツから帰国すると、20世紀日本人で一番語学が堪能ともいわれる井筒俊彦(『コーラン』の訳者でもある)の高弟、岩見先生にアラビア語を数年鍛えてもらった。アラビア語とペルシア語の達人だった。厳しかった。でも信頼できたから、2度挫折しそうになるも持ちこたえて、イスラーム哲学の原書も一人で繙けるまでに至った。これも、生涯の悦楽の一つである。

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