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洋々LABO > 大学別情報 > 慶應義塾大学 > ホリエッティの「三大陸周遊記」哲学の始まり

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前回は「アーキオロジー」(Archeology)に「始原論」の訳語も加えて欲しいとお願いしたが、<哲学の始まり>イコール<始原論の始まり>でよいのかという争点がある。つまり、哲学は始原論で始まったのか、それとも別のかたちで始まった可能性はないのか。

哲学史は当然、哲学の出発点から説き起こす。しかし、肝腎の「哲学」とは何かが定まっていなければ、どこから始めてよいのか迷うはずである。高校の「倫理」「世界史」の教科書、また大学の哲学史の教科書は、なぜタレースを以て哲学の創始者としているのか。それは、アリストテレスという権威に依存しているのである。紀元前4世紀の哲学者アリストテレスは主著『形而上学』で、<万物のアルケー探求>と<哲学>を重ね合わせ、その営みをタレースから辿る。

そもそも、哲学史なるものを始めたのはアリストテレスである。もちろん、彼以前にも自己に先立つ哲学者の発言に注目することはあった。しかし、「哲学は哲学史を前提とする」、「哲学史を学ばなければ哲学できない」と哲学探究の道筋を方法論的に確立したのはアリストテレスに他ならない。哲学史の創始者アリストテレスの権威に基づいて、哲学の創始者タレースという神話が誕生したのだ。

ところで、「哲学」の語源から哲学とは何かを辿る途もある。日本語の「哲学」は、欧米語のphilosophyを明治時代、西周が「希哲学」と訳したことに遡るという。philoはギリシア語の音写で「愛する」の意、sophiaは「知恵」という意味なので、併せて「知恵を愛する」すなわち「希哲」(かしこくなることをこいねがう)になったと想像される。

「学」の語は原語のphilo-sophiaにはない。「経済学」なら経済を学ぶ学問、「法学」なら法律を学ぶ学問として明確だが、「哲」を学ぶ学問とは何か判然としない。他の学問と歩調を合わせて、「学」の語を付け加え、語調から「希哲学」の「希」が脱落して「哲学」に定着したことは、ルーツを隠す不幸な出来事かもしれない。「希哲」は学問ではないとしたら、「哲学」と訳すべきではなく、「希哲の営み」と理解したおいた方がよい。

では、「希哲」すなわち「愛知」は古代ギリシアでは、どこから命名されたのだろうか。philosopos(哲学者)の語を初めて用いたのはピュタゴラスだという言い伝えがある。

いま風にアレンジしていえば、ピュタゴラスは競技場に集まる人を三群に分けた。一つには競技で勝利して名誉を得ようとする人々、二つには飲み物食べ物を売って儲けようとする人々、三つには競技を見物に来る観客である。哲学者とは名誉も金銭も眼中になく、ひたすら眺めることを楽しむ三群目の見物客に似ているというのだ。

ただし、哲学者は何でもかんでも眺めればよいというのではない。天全体の光景、秩序正しく天を運行する星々、延いてはそれらの根底にあって、それらを統べる数的原理が観想対象であろう。天体が奏でる音楽を聴くことができたというピュタゴラスに相応しい伝承である。

もっとも、この逸話はプラトン哲学を1世紀半遡るピュタゴラスに投影したものだという嫌疑がかけられている。というのも、この逸話を報告するポントスのヘラクレイデスはプラトンの弟子であり、人間の三類型はプラトン『国家』篇の魂三部分説(気概的部分・欲望的部分・知性的部分)を前提にしている節があるからだ。もしそうだとしたら、「愛知」の語はプラトン周辺で確立したのではないかと推定される。それは他ならぬソクラテスの生涯であろう。

ソクラテスは当時「知者」(ソフィステース)を標榜した者たちと対比して、己を「愛知者」と自己規定した。自分は決して知を有さず、持つのは無知の自覚だけだというのだ。ソクラテスの弟子カイレフォーンがデルフォイの神域に「ソクラテスより賢い者はいるか」と尋ねたところ、「一人もいない」との神託を得た。

無知を自覚していたソクラテスはその答えを訝り、自己より明らかに知を持つと思われる者を訪ね歩き、神託を反駁しようという大胆な挙に及ぶ。ところが、善美なることに関しては政治家にも、著名作家にも、謂わば人間国宝に匹敵する藝術家・工藝家にも知がないことが却って判明する。

そこで、神が啓示したかったことは、彼らもソクラテスも等しく無知であるのに、彼らは自分の無知についての自覚に欠ける。他方、ソクラテスには無知の自覚が伴う分、そのわずか紙一重の差で知に優っているということである。したがって、この世に知者(ソフィステース)はいない。自称ソフィステースは嘘をついている。或いは、虚偽を申告していることにすら気づいていない。

こうして、ソクラテスにおいて史上初めて「愛知者」(フィロソフォス)が現成した。知を有さないがゆえに、徹底的に知を追求して止まないのである。そのさまをプラトンは『ソクラテスの弁明』に綴った。この作品は、この上なく正義の人ソクラテスがアテネ市民の恨みを買い、処刑される経緯を伝える裁判の記録である。

ソクラテスの死をきっかけに、プラトンは政治家になる道も作家になる道も断念したという。ソクラテス死刑の紀元前399年に、語源からする哲学の起源をピンポイントで置くことも可能なのである。

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