小論文のための推薦図書――その8―― 宮本久雄『パウロの神秘論――他者との相生の地平をひらく――』
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著者、宮本久雄は、東京大学総合文化研究科教授を退官したのちも、上智大学神学部教授に請われ、さらには東京純心大学教授・カトリック文化センター所長として、76歳の現在もその学問活動に衰えを知らない。『教父と愛智 ロゴス(言)をめぐって』、『聖書と愛智 ケノーシス(無化)をめぐって』ほか、あまたの著訳書で名を馳せているだけでなく、長年に亘るカトリック教会司祭としての司牧実践は高く評価されている。大学教授職を僧侶と掛け持ちしたり、神父・牧師と兼ねたりする例は、私の知る限りでもかなり多い。私の先任教授などは、易者としての方が有名だったという噂もある。
宮本氏の研究発表を最初に聴いたのは、中世哲学会の年次大会の席上で、カトリック思想の根幹トマス・アクィナスについてであった。宮本氏はトマスと同様、学問を奨励するドミニコ会に属しており、数年前には、日本人初の「聖なる神学のマギステル」の名誉称号をドミニコ会から授与された碩学である。とはいえ、近寄りがたく怖い御仁かというと、決してそうではなく、大学のゼミナールや学会の懇親会では、ワイン(キリストの血?)をかなり嗜まれ、ユーモアと学識に裏打ちされた会話に花を咲かせ、その明朗な人柄に惹かれる者は数多い。
しかし、出発点の正統派トマス・アクィナス研究だけにとどまらず、東方キリスト教学会を立ち上げ、『エイコーン』(PC上の「アイコン」の元のギリシア語で、「似像」の意味である)という雑誌を刊行したことが、新たな学問的飛躍を彼にもたらしたと思われる。十字架上でのキリスト処刑の悲惨さを強調する西方キリスト教に対し、東方キリスト教は、光に包まれて顕現したイエスの変容に重きを置く。
「六日の後、イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。すると、彼らの目の前でイエスの姿が変わり、顔は太陽のように輝き、衣は光のように白くなった。見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。ペトロが口を挟んでイエスに言った。「主よ、私たちがここにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、ここに幕屋を三つ建てましょう。一つはモーセのため、もう一つはエリヤのために。」ペトロがこう話しているうちに、光り輝く雲が彼らを覆った。すると、雲の中から、「これは私の愛する子、私の心に適う者。これに聞け」という声がした。弟子たちはこれを聞いてひれ伏し、非常に恐れた。」「マタイ福音書」17章1-6節)(新共同訳2018年)
『パウロの神秘論』の論述には、奇岩で有名な世界遺産カッパドキアのニュッサ出身のグレゴリオス、謎に包まれた擬ディオニュシオス・アレオパギテースといった東方キリスト教思想家の肯定的イエス像が見え隠れている。
パウロはファリサイ派のユダヤ教徒として、キリスト教徒迫害の急先鋒に立っていたが、ダマスクスの郊外で突然、天からの啓示を受け、クリスチャンへと劇的な回心を遂げる。
「さて、パウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺害しようと意気込んで、大祭司のところに行き、ダマスクスの諸会堂宛の手紙を求めた。それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった。ところが旅の途中、ダマスクスに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。パウロは地に倒れ、「パウロ、パウロ、なぜ私を迫害するのか」と語りかける声を聞いた。「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、「私はあなたが迫害しているイエスである。立ち上がって町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが告げられる。」同行していた人たちは、声は聞こえても、誰の姿も見えないので、ものも言えず立っていた。パウロは地面から起き上がって目を開けたが、何も見えなかった。人々は彼の手を引いてダマスクスに連れて行った。パウロは三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった。ところで、ダマスクスにアナニアと言う弟子がいた。幻の中で主が「アナニア」と呼びかけると、アナニアは「主よ、ここにおります」と言った。すると、主は言われた。「立って、「まっすぐ」と呼ばれる通りへ行き、ユダの家にいるパウロという名の、タルソス出身の者を訪ねよ。彼は今祈っている。アナニアという人が入って来て自分の上に手を置き、元どおり目が見えるようにしてくれるのを、幻で見たのだ。」しかし、アナニアは答えた。「主よ、私はその男がエルサレムであなたの聖なる者たちに対してどんな悪事を働いたか、大勢の人から聞きました。ここでも、御名を呼び求める人をすべて縛り上げる権限を、祭司長から受けています。」すると、主は言われた。「行け。あの者は異邦人や王たち、またイスラエルの子らの前に、私の名を運ぶために、私が選んだ器である。私の名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、彼に知らせてあげよう。」そこで、アナニアは出かけて行って、ユダの家に入り、パウロの上に手を置いて言った。「兄弟パウロ、あなたがここへ来る途中に現れてくださった主イエスは、あなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、私をお遣わしになったのです。」すると、たちまち目から鱗のようなものが落ち、パウロは元どおり見えるようになった。そこで、身を起こして洗礼を受け、食事をして、元気を取り戻した。」(「使徒行伝」9章1-19節)(新共同訳2018年から引用したが、文脈に応じて変更を加えた)
擬ディオニュシオスにおいては、神は光と同一視され、その思想が12世紀にステンドグラスを通し教会を、光イコール神で満たそうとするゴシック建築の契機となったが、イスラエルのタボル山で変容し光り輝いたイエスと、ダマスクス南西18kmほどのコーカブの丘でパウロを浸して回心へと強いた光に通底するものを絶えず意識するのが、宮本氏の思索である。神=キリストからの愛に包まれ、旧約の律法から自由になり、その愛を神的協働体に伝える活動はキリスト教内に限定されず、広く現代の異教圏にも拓かれたものだという。『パウロの神秘論』は、第33回和辻哲郎文化賞・学術部門に輝いた。