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洋々LABO > 洋々コラム > 小論文のための推薦図書―その11― 田中龍山『ソクラテスのダイモニオンについて ――神霊に憑かれた哲学者――』 晃洋書房、2019年

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「私たちには守護霊・背後霊がついている」「先祖の霊が護ってくれている」という発話は、なにも宗教哲学、それぞれの宗教内部でのみ唱えられる専売特許ではないだろう。自然科学を信じ、合理的に生活しているはずの現代人の会話に混じって語られることもあり、表立って口には出さずとも、目に見えない別の存在を真剣に自己の人生観の一部に織り込んでいる者も少なくないのではないか。私の母も折に触れ、「おじいちゃんの霊が見守ってくれているから、大丈夫よ」などと言っていたことが懐かしく想起される。形骸化したとはいえ、祖霊を祀るお盆の行事がいまだ暦に残る事実は、私たちの霊に対する信仰の一端を証しているかもしれない。カトリックの教えでは、各人には特定の守護天使が宛がわれ、生涯、善に向け導いてくれるという。

 さて、demonの元のギリシア語「ダイモーン」は、英語のように「悪魔」「悪鬼」「悪霊」と言った否定的な意味の存在者とは限らない。いやむしろ、ポジティブなニュアンスを籠めて、「善い霊」を指す方が多いと言ってよい。ギリシア語で「幸福な」は、「善きダイモーンを持っている」(エウダイモーン)という語で表現される。
そして、「ダイモニオン」とは、「ダイモーン」に「・・・イオン」という接尾辞を伴う縮小形であるから、さしずめ「小さい霊」という意味になる。言語にはさまざまな縮小形なるものがある。フランス語の「タルト」に「・・・エット」と付けた「タルトレット」は、「小ぶりのタルト」を指す。イタリア語の「スパゲッティ」に、「・・・イーニ」を附加すれば「スパゲッティーニ」となり、「細麺のスパゲッティ」を指すという具合である。逆に、面白いことに、イタリア語では拡大語尾というのもあって、「ナーゾ」(鼻)に「・・・オーネ」という接尾辞を付け、「ナゾーネ」とすると、ピノッキオの「でかくなった鼻」にピッタリの語が出来上がる。

 プラトンが記したソクラテス言行録である対話篇には、ソクラテスに付き随う「ダイモニオン」への言及が随所にみられる。「ダイモーン」には「神霊」の訳が最も人口に膾炙しているが、「ダイモニオン」には定訳がなく、片仮名書きで音写されるのが通例である。いずれにせよ、神ではなく人間でもなく、両者の中間的存在らしい。その意味では、神と人との媒介者であると言うこともできよう。ダイモニオンは姿を見せないが、折々のソクラテスの行動に口を挟む声として現れる。「これこれしなさい」という肯定命令のかたちを採ることは決してなく、「それはするな」という否定命令に限られた。ところが、若者を堕落させる教育をし、新奇なる神をアテネに導入するソクラテスの言動は死刑に値するとして、メレトスなる男に訴えられ、その弁明に向かう裁判への出廷には、「やめなさい」という否定命令は下されず、堂々と思いの丈を法廷の場でソクラテスが述べることも制することはなかった。その結果はご存知のように、紀元前399年、この世で最も義しい人ソクラテスの処刑という事態に繋がったわけである。

 さて、このダイモニオンの正体は何かを巡って論争がある。実体化して、ソクラテスと別箇の存在者として立てるか、ソクラテスの内心の声として内在化するか。知人の研究者たちの間でも、解釈が割れるのを見聞してきた。ソクラテスの良心の声を脚色したものとする教授もいたし、神からの啓示だとする文化功労賞受賞者もいた。今回の著者、田中龍山は、喜劇作家アリストファネス、同時代の文筆家クセノフォーン、とりわけ500年後のプルタルコスの著作を参看し、ソクラテスのダイモニオンに関する新境地を開拓している。

 プルタルコスの『ソクラテスのダイモニオンについて』という著作では、ガラクシドロスという登場人物が現れて、議論・理性(ロゴス)によって教えると公言しながら、一方でダイモニオンなどという神的なものの権威に頼ってソクラテスが行為する矛盾に疑問を投げかけた。理性的な哲学者の代表であるソクラテスが、実は非合理主義の権化なのではないかという鋭い問いかけである。それに対する田中龍山の返答は、以下のように分節化されている(本書226~7頁)。

(1) ソクラテスがロゴスによって判断し、或る何かをしようとする(初めのロゴスの局面)。
(2) そこに、ダイモニオンが生じたり、生じなかったりする。出現すれば、ソクラテスの当該の行為が差し止められ、出現しなければ、行為が認められたと判断する。
(3) ソクラテスはその行為を行なう、あるいは行なわない。
(4) ソクラテスは、自らのロゴスによってその理由を考察し、納得している(あとのロゴスの局面)。

ここでは、ロゴスに従うか、ダイモニオンに従うかの二者択一は成立せず、ロゴスを重視する(1)(4)の局面と、ダイモニオンをなおざりにしない(2)の局面が共存している。ダイモニオンの声は通常の予言とは異なり、ロゴスと密接に絡み合って、行為の実現に参与する。「一般的命題・原理のレベルでのソクラテスの判断に、ダイモニオンが反対した場合は一度もない」(249頁)と分析している。

 これを機に、普段私たちが漠然と信じたり、疑いの眼差しを向けたりしている、各人の霊や天使について一考するのも悪くないのではないか。

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