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洋々LABO > 洋々コラム > 小論文のための推薦図書―その14― 清水俊史『ブッダという男』ちくま新書1763、2023年12月

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 最近と言わず、かなり以前から、「お宅は何宗なの」と訊いても、「え~、知らな~い」という答えが高校生のみならず、大人からも返ってくる。ヨーロッパでキリスト教離れ、教会離れが指摘され、嘆かれるのを対岸の火事とばかり傍観するのは笑止である。此岸こそ火がぼうぼう燃えている。親族、知人の死に関連する法事、花見、紅葉狩りなどの観光目的以外で寺を訪れることは稀ではないか。葬式仏教に意味なし、戒名は本来の教えにないと潔く、私と共に葬式なし、散骨を決めればよいではないか。
 さもなくば、学校の、通り一遍のつまらない仏教の概説を越えて、その魅力、意義を探るべきではないか。ここに、仏教学研究の代名詞である中村元はじめ、錚々たる碩学を撫で斬りしながら、しかも明解に開祖ガウタマ・シッダールタの教えを明るみにした新書が現れた。
 大乗仏教、密教、鎌倉仏教と変幻自在に変貌する宗教の本質を捉えるには、原始キリスト教、イエスその人に帰れという掛け声と軌を一にして、ブッダその人の教えに立ち戻る方途が有効であろう。しかし、原型・原像を無垢のまま掬い/救い上げるにはヘラクレス並の力業が要求されるようにみえる。史的イエスと同様、史的ブッダに迫る艱難には仏典に混入する神話的装飾、矛盾する記述、後代の加筆のみならず、最大の陥穽として解釈者の内側にある、「ブッダ推し」の「ブッダはこうあって欲しい、ブッダかくあるべし」という実物以上に美化する性向・誘惑を鎮めることの難しさにある。この種の謂わば「業」にこそ、本書が素人への警告というより、仏教学専門家との学問的対決の様相を呈する理由がある。

1) <ブッダは平和主義者であった>という命題に対して。
ブッダは現代的意味での平和主義者ではない。不殺生や戦争の無益さを語ることから、殺生や戦争を肯定的に捉えていなかったことは判るが、起こるべき定めの戦争は避けられないものと解していた。その背景には、武士階級が征服戦争を起こすことは、彼らに課された神聖な生き方だったという点と、業報輪廻の世界において戦争の惨禍は避けられないと信じられていたことがある。初期仏典における「大量殺人を犯しても、善業を積めば地獄堕ちを回避できる」という記述は、ブッダの生命観や倫理観が、悪業・善業によって来生が決まるというカルマの法観念によって基礎づけられていることを証明している。たとえ大量殺人を犯したとしても、その罪業は悟りへの障害になるほど重大なものとはならない。

2) <ブッダは業と輪廻の存在を否定した>という命題に対して。
バラモン教は輪廻主体である恒常不変の自我アートマンを立てるのに対し、無我説に与する仏教では、輪廻転生する自己が存在しないとする解釈は過っている。ブッダは個体存在を色(しき)・受・想・行・識の五要素から構成されると説いた。この各々は変化し壊れ、全体を統括する原理も設けないので、各個も全体も自己原理とはならず、無我となる。とはいえ、色以外の四つは精神的要素ゆえ、感受作用(受)や意思的作用(行)などが個的存在を構成し、無我を説きながらも、業報倫理のなかに個的存在を位置づけることが可能だったという。この点に関しては、さらなる説明を著者から聴きたいところではある。

3) <ブッダは階級差別を否定した>という命題に対して。
ブッダ生誕以前のヴェーダ聖典では、人間は生まれによって、司祭、武士、庶民、隷民の四階級に属するか定められており、変更不可能とされていたのに対し、初期仏典において、ブッダは隷民にも出家を認め、彼らも悟りを得られると説いた。だが他方、別の初期仏典では、当時の社会に階級差別があることを認め、それは悪業・善業の報いによって決まることを説いている。例えば、卑賎の家に生まれたのは過去世の悪業が原因であり、司祭階級や武士階級の富裕な家に生まれたのは過去世の善業が原因であるというのである。それ故、隷民として生まれ苦しんでいたとしても、それは自業自得である。畢竟、仏教は俗の側ではなく、聖の側での平等に力点を置いたことになる。

4) <ブッダは女性差別を否定した>という命題に対して。
 女性が男性の所有物であるかのような発言や、女性をあからさまに侮蔑する発言が初期仏典の至る処で確認される。ブッダの男女観は古代インドの一般的価値観に従っていた。それにも拘らず、ブッダが男女平等を唱えたとする一部の仏教学者は、「女性でも出家して悟ることができる」という仏教の立場を、男女の平等思想にまで拡大解釈してしまっているに過ぎない。

 以上四点に亘って、仏教の専門家でも陥る誤解を解きほぐそうという著者の意気込みをみてきたが、それは古代・中世において「ブッダは超能力者である」とか「一切智者であるブッダは、すべてお見通しである」と誇張されたのと同様に、近現代的価値観と合致させ、ブッダを神格化する解釈への果敢なアンチテーゼに他ならない。著者もさまざまな形態の神話的ブッダが従来、果たしてきた積極的肯定的な役割の重要性には一定の価値を認めてはいる。しかしながら、無批判的憧憬が学問に纏綿することは許されない。私も「推し」の陥る歪みに嵌まるつもりはない。

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