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洋々LABO > 洋々コラム > 小論文のための推薦図書―その15― プラトン『ティマイオス』土屋睦廣訳 講談社学術文庫、2024年12月

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 岩波書店の『プラトン全集』でプラトンを読むことが長い間、常道であったが、全集セットはもとより、ばら売り単行本一冊でも高価で、大学図書館、専門家、好事家を除いて、おおかた購入は躊躇されてきた。そのため岩波書店は、『国家』『パイドロス』『パイドン』『饗宴』『ソクラテスの弁明』など人気のある著作は文庫本としても出版した。他の出版社を含めれば、プラトンのかなりの著作の和訳本を手にすることができたが、『ティマイオス』は岩波から文庫が出ていないことも手伝って、一般に接近しにくかったのが実情である。
 今回、講談社学術文庫から新訳を上梓したのは、現日本大学文理学部准教授・土屋睦廣である。同氏は筑波大学・故野町啓教授の指導のもと、長年早稲田大学の大学院演習で、後に慶應義塾・故中川純男教授も加わってカルキディウスの『ティマイオス註解』を丹念に読んできた経緯から、衆目一致の理想的訳者を我々は得たと言えるだろう。紀元4世紀のカルキディウスがプラトンの同著ギリシア語原典の一部をラテン語訳し、原典の約5倍に及ぶ詳細な註解を付したお蔭で、西欧中世世界が唯一まともにプラトン哲学に触れうる媒体となった。土屋は夙に2019年、京都大学学術出版会<西洋古典叢書>から、カルキディウスの和訳の方は先行出版している。
 新プラトン派で、紀元5世紀のアカデメイアの学頭プロクロスは、数あるプラトン著作のなかで『パルメニデス』篇と『ティマイオス』篇に関し、前者は一者とイデア界を含む上方世界を開陳する一方、後者は宇宙生成論と自然界という下方世界を網羅するという理由から、この二著だけは救いたいと述べている。この言い伝えからも、古代哲学における『ティマイオス』の重要性が推測されようものである。
 この宇宙は一柱の神によって産み出された。その神「デーミウールゴス」というギリシア語は、「陶工、大工、靴つくり、鍛冶屋などの職人」を指す単なる普通名詞だったものを、プラトンが宇宙大の制作者に拡大した結果、「宇宙制作者」の意味の方が後世、支配的になった。この神的な存在者には「物惜しみ/妬み」(フトノス)がない(29E)と形容される。ライプニッツやハイデガーで有名となった「世界がいかにあるかではなく、なぜ無でなく存在するのか」という問いこそが哲学の根本問題であるという主張に対し、既にプラトンの先の寸言は答えを与えていると解釈されてきた。つまり、神だけで独存していてもよかったのに、何故、この世界を造るという(暴?)挙に及んだかと言えば、「物惜しみ」ないが故、存在を独り占めせず世界創造に移る必然があったからである。譬えてみれば、神は水をすりきり一杯たたえた器ではなく、汲めど汲めど尽きせぬ滾々と水が湧き出る泉なのである。13世紀中世スコラ哲学の泰斗トマス・アクィナスは、これを「善の自己拡散」bonum est diffusivum suiと定式化した。善なる神による創造の必然性を謳っている。
 専門家は「プラトン哲学を専攻している」という言い方では納得しない。どの時期のプラトンなのかを明示すべきと考えるからである。初期・中期・後期でプラトンは、あたかも3人の別人であるかのように変貌する。初期はソクラテスが対話相手を返答の行き詰まり(アポリアー=出口なし)に追い込み、イデア論不在。中期こそが人口に膾炙しているプラトン像で、<魂不死説><想起説><イデア論>が出揃う。後期ではソクラテスが退きがちで、オックスフォード大学のオーウェンはイデア論が『パルメニデス』篇でプラトンにより自己批判されて以来、従来の形では現れなくなったという立場から、デーミウールゴスが被造物の範型(モデル)としてイデアを参照する『ティマイオス』篇は通説で言う後期ではなく中期に属すべきだとする新説を唱えた。それに対し、京都大学の故藤澤令夫教授は、強烈な反論を展開した。すなわち、プラトンのイデア論自己批判は、誤解を招きやすい中期の定式を自己修正したにすぎず、後期においてもイデア説は依然として保持されているというのである。中期の立場では、感性界の個物が確固とした存在を有し、イデアを分有することで、例えば「個物が美のイデアを分有することにより美しくなる」と考えられていた。しかし、この場合、個物の美とイデア<美>の双方を美たらしめるさらに第三のイデア<美>が根拠として要請され、同様の論法を適用すると無限背進に陥るという、いわゆるアリストテレスの「第三人間論」批判を受けることになる。このイデアの自己述語問題を回避するためには、感性界の個物を固有の自立的実体としてではなく、イデアの秩序が映し出される「場(コーラー)」として捉え直す必要がある。こうして、感性界は場にイデアが映し出されたものと解されることによって、主語として立てられた原子が実体として空間内を運動すると述語づけられる、アリストテレスに原子論を奇妙に接合させたような近世の機械論的自然観を超克する一つの道が、すでにプラトンによって示されていたと藤澤は説いたのである。
 以上、あまた孕む『ティマイオス』が提起する問題群のわずか二点を瞥見したにすぎないが、原文に忠実で読み易い訳文として結実した新訳を手に取って、プラトンの壮大かつ微細な世界観に触れて損はない。

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