小論文のための推薦図書―その12― 國方栄二『哲人たちの人生談義――ストア哲学をよむ――』
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かなり以前、國方栄二氏とは同じ学会に属し、金沢大学で開催された年次大会に赴く途上、名所、尾山神社付近でばったり出会い、それこそ談義しつつ会場まで同行したことを懐かしく想起する。一番の御専門はプラトン哲学であったが、新プラトン主義にも通暁している縁で共著を出したこともある。出身の京大などでも教鞭を執っていたが、最大の活躍の場は京都大学出版会での西洋古典叢書の編集の仕事だったし、現在も継続中のはずである。
ヨーロッパにはイギリスならロウブ・クラシカル・ライブラリー、フランスではベル・レットル社のビュデ版という、ギリシア語原典、ラテン語原典を読めない一般読者のために現代語への翻訳を提供する叢書があって、一線で活躍する哲学者にとっても新しい思想を練る起爆剤となって来た。その種の伝統と効果が日本において欠落していることに気づき、京大関係の学者たちが英断をもって立ち上げたのが西洋古典叢書に他ならない。1997年から定期的に刊行され、すでに100数十冊に及んでいる。この知的遺産伝道シリーズの最終審級として控えるのが國方氏であり、諸訳者の原稿段階での誤訳は氏の校閲の活躍でかなり訂正されたと想像される。西欧には文科系でも「エンジニア」という役職があるが、そのような裏方として、田中美知太郎、藤澤令夫という京大古代哲学の学匠の伝統を堅持している。
その作業の副産物なのか専門領域を拡張し、或る時期からプラトン、アリストテレスといった古代ギリシア黄金期からは外れるストア哲学研究にも舵を切っていった。『ストア派の哲人たち――セネカ、エピクテトス、マルクス・アウレリウス――』2019年の著作、エピクテトス『人生談義』上・下、岩波文庫、2020-21年の訳書等をすでに世に問うている。ストア哲学は、プラトン、アリストテレスのそれと比較すると厳密さに欠けるとして、國方の恩師、藤澤令夫の研究対象にはなっていなかったが、人生論つまり、いかに生きるべきか、幸福とは何かという人生最大の目標に対し、含蓄ある寸言と巧みな譬喩を提供することによって、後代に対する影響はむしろ莫大なものがあった。
ストア派はキプロス島出身のゼノン(前335頃から263頃)に始まり、クレアンテス、クリュシッポスと続く古ストア派、パナイティオス、ポセイドニオスといった中期ストア派、さらにはローマ時代に入って、政治家や文人に広く受け容れられた後期ストア派に分けられる。後者には、皇帝ネロの側近セネカ(前4から後65)、解放奴隷エピクテトス(後55頃から136頃)、皇帝マルクス・アウレリウス(後121から180)も含まれて、現代にまで広く永く読み継がれている。
生と表裏一体の死を巡っては、つとにプラトンの対話篇『パイドン』でもソクラテスの刑死を機に哲学的思索の対象となっていたが、ストア派では主要問題の一翼を担っている。骸骨の絵がしばしば添えられる「メメントー・モリー」(死を忘れるな)というラテン語の諺があるが、セネカの「私たちは日々死につつある」という言葉も同じ趣旨のものという。英語の現在分詞の活用でlieはlyingに、dieもdying になるという不規則形を教える際に、We are all dying「私たちはみな死につつあるんだ」という例文を私は挙げ、哲学談義に中学生をいざなうことがあるが、これは半分いたずら、半分まじめに語っている。現代でもハイデガーは人間のことを「死に投げかけられた存在」と捉えているから、死を日々意識することは哲学者の存在証明(レゾン・デートル)かもしれない。
エピクロスの著名な「私たちが生きているとき死は存在していないし、死が到来したら、今度は私たちの方が存在していないから、畢竟、死は怖くない」という開き直りのような境地は凡人には到達しがたいものがある。ローマ詩人ホラティウスのように、「カルぺー・ディエム!」(今日(の実り)を摘み取れ)と愛と酒に走る道もあれば、「生まれてこないのが最上で、次善は生まれたら、一刻も早く死ぬこと」とうそぶく古代ギリシアの厭世観もある。
もう一つの生き方は、森鴎外の『舞姫』でも言及されている「ニール・アドミーラーリー」(なににも驚かない)という立場であって、人生のいちいちの偶然事に一喜一憂しないことだ。不測の事態を事前に覚悟しておく技法もある。
「君がなにかを楽しんでいるときには、それと反対の心像を思い描くことだ。君が子供にキスをしている最中に、「お前は明日死ぬかもしれない」とつぶやいて何が悪いのか。友人に対しても同様で、「君か私が明日この地を去って、もう二度と互いに顔をあわせることはないだろう」とつぶやいて何が悪いのか。」(エピクテトス『語録』第3巻第24章)。
ストア派は、ただ運命に忍従せよと諦めを奨めているわけではない。むしろ、どのような逆境にも動じない精神の強さを確立せよと促しているのである。戦乱に明け暮れる合間に自己の思索を綴った、哲人皇帝マルクス・アウレリウスの備忘録には人の琴線に触れる金言が多く、精神科医にして訳者にもなってしまった神谷恵美子を初め、古今東西、愛読者に事欠かない。
「すべての存在を記憶せよ。そのごく小さな一部分が君なのだ。またすべての時を記憶せよ。そのごく短い、ほんの一瞬間が君に割り当てられているのだ。さらに、運命を記憶せよ。そのどんな小さな部分が君であることか。」(『自省録』第5巻24)
フランスの著名な哲学史家ピエール・アドは、マルクス・アウレリウスの根本思想を「城砦」という鍵語で的確に押さえたが、われわれには欲望、激情に左右されない鉄壁の、まさに精神の城塞を築くことが求められているのである。
なお、原語の術語の母音長短に厳密な著者であれば、「優先されるもの」という意味で何度か登場する「プロエーグメノン」は「プロエーグーメノン」にすべきだったのではないか。