第59回:法と社会(その4)
今回は、「雇用と法」について。
日本は新卒採用の国であり、学生たちは終身雇用を希望し、年功序列に従って一生を送っていく。若いころに働いて貯めた報酬を、後々になってから年金のように受け取る(給与が上がる)ため、実質35歳くらいまでは仕事と報酬が割りに合わないようになっている。それでも、優秀な人材はみな競うようにこのような企業に入りたがる。これはアメリカとは正反対の風潮らしい。アメリカの場合、優秀な人材は自分で起業するか、またはウォール街に入る。優秀でない人材が、大企業や公務員になる。まさに、日本とは正反対だ。
「切符経済」という言葉がある。経済学部の学生は定期を買うほど頻繁には大学に来ないので、毎回来る際には切符を買う、という様子を表したものだが、このような皮肉が、「大学入学がゴール」という日本社会に根付く考え方(悪習)を顕著に表していると思う。
よく言われることだが、「日本の大学は入るのが難しく出るのが簡単」、「アメリカなど海外大学は入るのは簡単だが出るのが難しい」とされている。日本の某有名国立大学に受かるためには、まずセンター試験で7つもの科目を受験し、満点近く取らなければ、受験資格さえも与えられない。その上で、「半分解ければいい」とさえ言われるような、非常に難しい二次試験をクリアしなければならない。これは世界各国の大学入試事情と比べても、かなり厳しい部類に入るのではないだろうか。もちろん、その理由としては「学歴社会」という言葉に表されるような、「良い大学に入れば、良い企業に入れる」という、伝統的なレールが存在するためである。聞くところによると、中国や韓国では、日本以上に大学が将来に直結してしまうため、「お受験戦争」が厳しいそうだ。
「大学は遊ぶ所」。最近では、子供を大学に通わせる親が、自らの子供にこう教えることも少なくないらしい。受験勉強のときはあんなに「勉強しなさい」と口うるさく言われたのに、いざ大学に入った途端「思いっきり遊べ」なんて、驚くべき変化である。ただ私の親も含め、まわりの友人のたちに聞いても、そのように言う親の方が多いように感じる。おそらく、親たち自身が「大学生活=遊び」だったのだろう。自分たちが楽しい4年間を過ごして、それで不自由なく就職もでき、いま現在も不自由なく生活できているからこそ、子供に勧めるのである。
まあ正直に言うと、「勉強しろ」と言われるよりは「遊べ」と言われるほうが、こちらとしても気分が良い。人間だもの。