第72回:宗教と現代社会(2)

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 今回は「オリエンタリズムとイスラーム」について。

 「中東」と聞いて思い浮かべる人物は誰だろうか。あるアンケート結果によると、日本人の多くは「ビンラディン」「アラファト議長」「フセイン」という3人の名前を挙げるらしい。では「イスラーム」だとどうなるか。今度は「ムハンマド」「ビンラディン」「アッラー」といった答えが出てくる。

 しかしこのような非常に限られたイメージだけで、果たして本当に正しい知識を持っていると言えるのだろうか。

 「オリエンタリズム」という言葉がある。「近代ヨーロッパの文学・芸術上の潮流」といった意味で用いられることが多いが、オリエンタリズムを「言説」と捉える説も存在するらしい。言説とは、現代フランスを代表する哲学者ミシェル・フーコーが用いた最も重要な言葉のひとつで、「言葉の連鎖としてまとまった内容を持つ言語表現」という意味である。

 中東の理解については、何を扱ってもマイナスにしか見えてこないような言説の支配があるのではないか、という議論が授業内でも取り上げられた。上で挙げたアンケート結果においても、テレビのニュースや新聞など、メディアで取り上げられるような事件に関連のある名前が挙がっている。

 そもそも日本人の多くは、イスラームと向き合おうとしていない。イスラーム教徒の関係する事件を宗教そのものとはき違え、イスラームそのものに対しても恐怖感を抱いてしまっている。「宗教、宗教した宗教に弱い」と教授が仰っていたが、まさにその通りだと思う。体験談の域を出ず、また理論的なところまで踏み込めず、結果、イスラームに対する旧来の偏見をそのまま踏襲してしまっているのである。

 また、日本人特有の「宗教観」の影響も少なくない。「宗教アレルギー」なんて言葉もあるように、自分自身の宗教に対してもあまり深く考えていないのだから、他人の宗教について考える機会なんて、世界史や宗教学の授業で扱う以外にはあまりないだろう。

 イスラームについて考える際には、オリエンタリズムに惑わされないこと、そして既存の宗教概念にとらわれないことが強く求められる。

      慶應義塾大学SFC 環境情報学部 水谷 晃毅