第73回:宗教と現代社会(3)
今回は「イスラームとは」について。前回、オリエンタリズムとの関連性も交えて述べたが、今回はよりイスラームそのものについてお話していきたい。
まず辞書的な説明から。広辞苑によると、イスラームとは「神への服従・帰依の意」と書かれている。イスラム教は世界的大宗教で、610~632年頃にムハンマドが創始、アラビア半島から東西に民族を超えて広がった。サウジアラビア・イラン・エジプト・モロッコ・パキスタンなどでは国境となっている。ユダヤ教・キリスト教と同系の一神教で、唯一神アッラーと預言者ムハンマドを認めることを根本教義とする。聖典はコーラン。信仰行為は五行、信仰箇条は六信にまとめられる。その教えはシャリーア(イスラム法)として体系化され、教徒の日常生活や人間関係のあり方、様々な社会制度から国家の統治までを規定する。・・・と書かれている。
以上のような説明は、おそらく世界史などを勉強する上である程度触れたことがあるだろうし、聞いたことがある単語もいくつかあるだろう。
しかし、「イスラームとは」という根本的な部分を考える際、特に日本においては、報道・現実レベルでのイメージが形成されてしまうことが多い。そこで、授業内では教授から次のようなメッセージがあった。
「顕微鏡を捨てて、天体望遠鏡を持とう」
イスラームが何であるのかも知らずに、イスラーム教徒の起こした事件だけから判断して、イスラームを遠ざけるのは、知的な態度とは言えない。宗教の概念から問い直す必要があり、よりトータルな宗教から社会を眺めるべきなのである。
世界をとらえるには、3つのレベルがある。
・伝えられていること(報道)
・みてわかること(現実)
・じつはそうであるべきはずなこと(真実)
真実とは、いわゆる「教え」や「願い」などのこと。この部分がなかなか捉えることができないのである。
報道よりも現実、現実よりも真実。
これは宗教のみならず、あらゆる物事に向き合う際に必要な意識であると感じた。