第74回:宗教と現代社会(4)
今回は、「ラマダーン」について。
ラマダーンとは、イスラーム暦9月のことである。このラマダーン月に、イスラーム教徒はサウム(斎戒)を行う。サウムとは、夜明け前から日没まで飲食、争い、性交などを行わないことである。
なぜイスラーム教徒はラマダーンをするのだろうか。伝統か、それとも習慣か。聖預言者の言葉の中にも、昼夜5回の礼拝、ラマダーン月の斎戒、ザアー(喜捨)を行ったものは至福に入るとある。しかしそもそもサウムには、大きく分けて4つの効用があるとされる。
一つ目は、魂のレベルでの効用。斎戒者が現世的な欲望や誘惑よりアッラーへの愛を優先していることを、身を持って示す証明なのである。すなわち、アッラーに対する従順を示す行為とされているわけだ。
二つ目は、道徳的なレベルの効用。過酷な状況、飢えや渇きに対する忍耐力鍛錬の場であり、私利私欲に対する抑制力を強化する場でもある。
三つ目は、社会的レベルの効用。貧者に対する慈悲心の発揚、社会全体に対する思いやりの気持ちを養うと共に、慈善活動への契機にもなるとされている。
そして4つ目が、医学的レベルの効用。肉体を食べ物・飲み物の淀みからきれいにすることで、常に働き続けている消火器に休みを与える。サウムの方法以外に治療法のない病気、というのもあるらしい。
考えてみると、私たちのような日本人には「少しの空腹にも我慢のできない人」「よりおいしい食べ物でないと満足しない人」が多くいるように感じる。もちろん、食欲というのは人間が生まれながらに持つ欲求なので、仕方がない部分もある。しかしながら、欲を抑えるということも時には求められる。
ラマダーンやサウムが行われるのは、決して精神的な理由だけではない。正しく行うのであれば、科学的・医学的見地からもその効果が認められているのだ。特に日本のような物資に恵まれた国においては、より多くの人にその本当の姿を知っていただきたいと、強く願うばかりである。