第75回:宗教と現代社会(5)
今回は、「アッラー」について。
アッラーとは何か。もちろん、イスラームにおける「神」であることは知っているだろう。
ウィキペディアによると、『アラビア語でアブラハムの宗教(ユダヤ教・キリスト教・イスラーム教)の唯一神に対する呼称のひとつ。最後で最大の預言者。生みもせず、生まれもしない、絶対固有である。また全知全能で唯一絶対であり、すべての超越である。「目無くして見、耳無くして聞き、口無くして語る」とされ、姿形をもたない、意思のみの存在であるため、絵画や彫像に表すことはできない。』と記されてある。
一言であらわすなら、アッラーは「すべてを包み込んでくれる」存在なのだ。アッラーを前提とした考え方は、地球上のあらゆる問題に対してもっとも公平で客観的な視点を与えてくれるらしい。
さらに、このアッラーによる「絆」が様々なものを繋いでいる。個人と社会、民族と民族、生と死、物質と精神、この世とあの世・・・。アッラーは生も死も創造するとされ、そのため人間が自ら死を選択するということは、アッラーに並ぼうとする行為なのである。つまりそれは、来世での幸福を放棄する行為を意味する。
ちなみに、日本人の神とは・・・ br>・唯一の存在ではなく、多数存在した。 br>・具体的な姿形を持たなかった。 br>・時に来臨し、カミガカリした。 br>・それぞれの場所や物、事柄を領有し支配する主体であった。 br>・超人的な威力を持つ恐ろしい存在である。 br>・人間化され、行為の主体となるものも同時に存在した。 br>などの特徴が挙げられる。
「祀るもの」「祀られるもの」を神とする日本的精神があり、アッラーとは異なることがわかるだろう。
最後に、教授の説明の中にこんな言葉があった。 br>「種をまくのはわたしたち。しかしそれが実を結ぶまで育ててくれるのは、最終的にはアッラー。」 br>祈りや断食、喜捨は、人間にとって最低限の義務である。 br>そして、「すべての称賛はアッラーにある」のだ。