第90回:マスコミュニケーション(その2)

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 今回のテーマは、「記者クラブは必要か」。

 記者クラブとは、公共機関や業界団体などの取材を排他的に独占する、記者の集団のことを指す。特に日本では、取材上の特権や縄張りを主張するために記者クラブを作り、役所や企業もそれを尊重し、外部の記者の取材に応じない、といった習慣のようなものが存在していた。1990年代以降、記者会見のオープン化が進んだものの、記者クラブ自体は依然として存在しており、鳩山政権になって中央官庁の「記者クラブ開放問題」が急浮上してきた。クラブに加盟している既存メディアと開放を要求する雑誌、ネットメディア、フリーランスジャーナリストとの対立に発展している。

 そこで授業でも、ペアワークの最初の課題として「記者クラブは必要か」というテーマで記事を書いた。私のペアが書いた記事は以下の通り。私がライターを担当した。

 『組織vs個人

 記者クラブにおいても、日本社会にありがちな「組織」と「個人」の関係が見られる。組織は個人の集合体であるはずなのに、組織になった途端、個人としての権限が少なからず奪われるのだ。組織には「ルール」がある。複数の個人が属し、他者と共に行動するためには、何かしらのルールは必要不可欠であり、ルールによって組織が成り立っていると言っても過言ではない。しかしその一方で、ルールが個人の「自由」を奪う。最近流行りの「KY(空気が読めない)」なんて言葉からすると、もはやルール以前に「他者」という存在自体が、個人の発言や行動を制限しているようにも思えてしまう。記者会見や取材などの場において、当然ある程度のルールは必要であり、記者クラブという組織を作ることには賛成だ。しかし、取材の質を下げるようなルールを作ってしまってはならない。サッカーのオフサイドのように、より質を高めるためのルールであってほしい。』

 ちなみに、コメンテーター役の学生からは次のようなコメントをいただいた。

 『価値判断を下す上では、読み手に対する具体例の提示が求められます。 組織と個人とを対立基軸で捉える視点は、陳腐な議論となりがちですが、 個と個の関係性における相互制約の下りは中々に読み応えがありました。 憶測と推論を離れて、持論の展開ではなく論を尽くすためにも今いちど、 価値判断の前提となる実例の提示、及びに論理性を見直してみましょう。 』

                       慶應義塾大学SFC 環境情報学部 水谷 晃毅