元慶應文学部教授が選ぶ小論文推薦図書[ 4 ] 國分功一郎『中動態の世界 意志と責任の考古学』
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元慶應文学部教授として長年慶應文学部の一般入試・自主応募推薦入試の出題・採点に携わってきた洋々エキスパート講師の堀江聡が、慶應文学部をはじめとする人文科学系統の学部を志す皆さんにおすすめの図書を毎回1冊ご紹介します。今回は國分功一郎『中動態の世界――意志と責任の考古学――』です。
國分功一郎『中動態の世界――意志と責任の考古学――』、医学書院、2017年
スピノザとフランス現代哲学を専門にしつつ矢継ぎ早に著書を刊行し、目覚ましい成果を挙げつつある國分功一郎は、東京経済大学准教授から東京工業大学を経て、東京大学大学院総合文化研究科准教授として、この4月に母校に着任・凱旋した。イケメン哲学者・國分(こくぶん)の名を高らしめたのが、第16回小林秀夫賞を受賞した『中動態の世界』である。同書はすでに慶應義塾大学文学部2018年度の一般入試の小論文の問題文として、出版後すぐに採用されている。その意味で、もちろん予想問題としてこの本を繙くことを薦めているわけではない。
世界史の事項を問う問題がいくつか予想的中すれば、それは受験生にとって得点源になることだろう。だが、小論文の出題図書が的中したからと言って、その内容を問う設問に対し、よりいっそう明確な答案が書けるとは、俄かには言いがたいのではないか。新刊書で出題される可能性のある書物を、これまで洋々Laboの当シリーズに3回投稿してきた自らの行為に矛盾すると映るかもしれないが、すでに登場済みの本を読むこともまた、小論文入試対策に有効なのである。その内容が世界へ切り込む新しい視角を提供するものであれば、なおさらである。ことに、採点者の脳裡にも数年前に出題された文章の内容は刻まれている公算が高い。そこで、類似主題の今後の答案にも、ここで学んだ概念を盛り込めるというものである。
さて、「中動態」とはなにか。一般には馴染みの薄い概念であるが、私にとっては大学一年次、日吉キャンパスの「古典ギリシア語」授業で遭遇して以来、長年付き合ってきた文法枠である。ただ、それが國分本のような哲学的展望を孕んで再登場するとは思いもよらなかった。ふつう、中学英語2、3年で受動態を学習して初めて、「これまで習ってきたのは能動態だ」と、二つの対立概念へとわれわれは洗脳される。しかし、ギリシア語を学ぶと、中動態なるものがあると、パラダイム変換を迫られる。名詞には単数形と複数形だけでなく、二つのものを指す双数形もあるのだと知ったときと同様のささやかな歓びだ。
動詞を中動態の語尾に活用すれば、1)「遣いをやって自分のところに呼び寄せる」場合のように、「自分のために~する」の意を表わし、2)「自分のからだを洗う」のように、再帰的な動作も表わし、3)「われわれは互いに分かち合う」のように、相互的な動作も表わすという説明がギリシア語文法書には書いてある。現代語であれば、He washed himselfとか、She called that boy to herselfのように再帰代名詞で中動相を代用しているといってよいだろう。ドイツ語でもフランス語でも同様である。他方、ギリシア語では再帰代名詞を用いることなく、動詞の中動態という活用形だけで上記の意味を表示できるのである。
國分が挙げる例を眺めてみよう。カツアゲされて金を払うとき、金を払う行為は能動でもなければ、完全な受動でもない。脅されている点では受動だが、金を払うこと自体は能動であるから、能動・受動の二分法では説明が首尾よくいかない。無理やり金をひったくれば暴力だが、カツアゲは権力の行使である。権力が成立するのは中動態の世界であるという。
「中動」はその名称からすると、能動と受動の中間との印象を受けるが、國分の調べによれば、むしろ受動相が中動相から派生したのであって、もとは能動相と中動相が対比されていた。中動態は内態と呼ぶべきで、「主語が動詞の示す過程の内側に位置している」のに対し、動詞の過程の外側に位置する能動態は外態とされる。
英語ならば、受動態では行為者をbyという前置詞を伴って示すが、これは行為自体よりも行為者に重きを置く世界観の現れに他ならない。行為者が特定されれば、責任を帰すことが可能となり、責任を帰された者には意志を認めるのが当然のなりゆきである。「尋問する言語」に支配される近代西欧社会の誕生である。「その犯罪は誰によってなされたのか」というふうに。
しかし、行為者よりも出来事に焦点を当てる言語はかつて存在していたし、また、今後の可能性として残されるのではないか。われわれの行為は、われわれ自身が意志したようにみえて、じつは無数の前提の集合の結果、実現するものである。われわれの意志の奥に潜み、われわれの意志を産み出していくものに注意を払い、いかんともしがたい、われわれの行為に対する著者の優しい眼差しは、深い形而上学的考察と言語学的精査から立ち現れて来たのである。
國分功一郎の考察は、ハイデガーからアーレント、フーコー、ドゥールーズ、デリダから、スピノザにも遡り、一種の哲学者相関図を提示する読みごたえあるものだが、常識を崩し、まだ見ぬ世界を垣間見させてくれる点でミステリー小説の気分で読めるものにも仕上がっている。
古巣の東大に戻って水を得た魚の國分の今後の著作は、入試問題の源泉としても目を離せないに決まってる。
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