第51回:記憶をつなげる~震災から6ヶ月~

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2011.9.11
この日は世界的に大きく2つの意味がありました。
1つは世界を大きく変えたアメリカ・同時多発テロから10年。
もう一つは東日本大震災から半年です。

同時多発テロが世界を大きく変えたことは間違いない。
当時小6のガキだった私にとってもあのニュース映像は鮮明に覚えているし、
それに続くアフガニスタン、イラクでの戦争は記憶に新しい。
アメリカは膨大な戦費を今でも使い続け、航空の保安セキュリティは極端に厳しくなり、一部の人がアラブ系の人への見方を変えてしまった。

ニューヨークの貿易センタービル跡地を昨年訪れたが、記念館みたいな施設があり、写真などの展示の他、救出に当たって殉職した消防士などに関するパネルもあった。
日本人からするとアメリカの国のために戦死だとか殉職した人の英雄化にすこし戸惑いを感じ、どういう意見を持てば良いのかよく分からないことも感じた瞬間だった。

東日本大震災に関しては以前記事に書いたとおり、「復興カフェ」友人を巻き込む大事さを学び、その後実際に住宅復興支援のボランティアで石巻市に行った。そのことをSNSに書いたら興味を持った後輩が連絡をくれ、先日遠い九州から実際に参加してくれた。
彼もまたSNSの日記で感想を綴っているがやはり、実際に自分の目で見ることの大切さが書かれている。

(以下引用)
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9/8~12の間、IVUSA(国際ボランティア学生協会)の東北の被災地ボランティアに第15次隊として参加させていただきました。

ボランティア活動を行ったと周りに言う=自分いい人ですよアピールとか考える人もいますし、実際にそう言われもしました。しかし、自分の経験したことはとりあえず伝えたいですし、何かしらの影響を与えることが出来れば幸いです。

9/8(木)
13時間バスに乗って京都から岩手までの移動。
周囲はIVUSA会員や友人同士で参加してる人ばかりで、単独でのりこんだ自分はバカかと正直思いましたが、バスで近くの人と仲良くなれて安心。行動は彼らと共にすることとなる。この日は移動だけで1日が終わりました。

9/9(金)
朝に班が割り振られ、自分の班は津波の被害を受けた幼稚園の復旧作業として、校庭のガレキ、ガラス片の片付けや草むしりを行いました。
震災から半年たった今でも、幼稚園は開園出来ず、隣の小学校を借りての運営状況でしたが、園児たちのとても元気な姿に逆に元気をもらえました。
作業が終わったあとは見違えるようにきれいになり、今月末の運動会が代替地ではなく園で開ける可能性がでてきたようです。こうした形で貢献出来たことは非常に嬉しく、ボランティアにも様々なニーズがあるのだと実感しました。

夜にあったミーティングは班ごとに行われ、参加動機を述べる場が設けられました。
「現地を見てみたい。」
「3.11が学生時代に起こった意味を考えたい。」
「何かしたかった。」
など様々。

また、反省会や意見交換も行われたのですが、けっこうズバリと言う人が多く、中には間接的に個人を批判してるような意見もありました。ただ、こうした場では自分の正直な意見を話すことが全体の利益に繋がっていくのだろうと。

現地に赴き作業を行うことも大切ですが、こうした意見交換を行うことも作業と同じかそれ以上に大事なことなのだと思いました。

9/10(土)
たんぼの上に堆積した土やヘドロを撤去する作業でした。前日とはうってかわって、超ウルトラハードな肉体労働。
土を掘っても掘っても、たんぼの面積がとても広くて先が見えず。110人ほど動員されたものの終えることは出来ず、次の団体へと引き継ぐことになりました。こればかりは心残りです。

行き帰りのバスで津波の発生した海岸沿いを通ったのですが、家屋は全て壊滅状態。家の形がなんとか残ってても、中にとても住める状態ではない。他にも、地盤沈下による海上のガードレール、クシャクシャになった車、陸に乗り上げた大型船など、昨日とは打って変わって悲惨な被災地を目にしました。

夜はまたミーティングがありました。同世代の人間がこれだけ立派な意見や、はっきりとした意見を述べている姿に刺激を受けました。この日は自分なりに堂々と意見を言えたとは思います。

9/11(日)
お寺のガレキ撤去をしました。
この日もなかなかのハードワークでしたが、周りとの仲も深まってて連携がかなりスムーズにとれたと思います。

お昼休憩のときに、お寺から少し下ると、UPしてる写真の光景が一面に広がってました。家が100軒以上あったらしいですが、全て流されて跡形もない。

メディアは復興が進んでるような雰囲気を醸し出していますが、前日に見た光景も加えて考えてみると、これのどこが復興なのだと感じました。復興を達成するには何年、何十年かかるものかと途方にくれました。

たまたま年配の被災者の方がそこにいらっしゃったので、自分なりに最大限の配慮をして、少しお話をしました。
一緒に聞いていた女の子が泣き出すほど重たい話だったのでその内容は割愛しますが、お話を通じてわかったことは、自分たちが被災者の悲しみをわかることなんて決して出来ないということ。
自分のような外の人間は被災地を目の当たりにして、悲観することしか出来ない。家を失い、家族を失い、いつ元の生活に戻れるかも分からない、もしくは戻れないかもしれない。そんな状況を自分の今の生活に照らし合わせることなど出来ませんでした。震災発生当初は「ヤバい」と人事のように考えることしか出来ず、またなぜ今まで何も出来なかったのだろうと後悔の念にかられました。

また、この日はちょうど震災から半年ということで、地震が発生した14:46に1分間の黙祷がありました。お寺のお坊さんや地元の漁師さんからお話をしていただく場も設けられました。

そのお話や、参加した周りの方と話をして思ったこと。
まずは3.11を悲観するだけでなく、そこから何でもいいから何かを学ばなくてはならないこと。
それと「頑張れ東北」という考えではなく、日本全体で復興していくという姿勢を続けること。
何かめっちゃ当たり前というか、きれいごとのように聞こえるかと思われますが、この2点に関して自分は強く主張したいと思います。

今回の活動を通じて、ボランティアとは何か、みたいなことに関しては新しい発想はあまり得られませんでしたが、3.11に関してはかなり深く考えさせられました。

復興とは程遠いと前述しましたが、現地での雇用創出のために東北でのボランティアの数は減ってきてるようです。いのかIVUSAが被災地に派遣するのは今回が最後なのでそれに加われたことは光栄です。

最初はアウェー感マックスで不安でしたが、最終的には色々な大学の方と交流もでき、これまでの大学生活で悪く言うと殻の中に篭っていた自分にとってはとても良い経験が出来ました。自己満足で終わるのではなく、ほんとに微量ですがこうして伝えていくのも大切にしていこうと思います。
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(引用終わり)

やはり1人でも私の経験を言葉にして発信することの重要性を感じ嬉しく思いました。
これからも継続的に関心を持っていきたいなと感じています。

SNSを使って情報を伝えることが容易になった現代。
その良さを使って元気な日本へ一丸となっていきたいですね。
ボランティアに参加した私としてもとても嬉しい瞬間でした。

更新:2011-09-17
慶應義塾大学 法学部政治学科 井上貴史