第2回:深川由起子教授(早稲田大学政治経済学部教授)インタビュー
第2回になりました、「新しい大学選択」。インタビューを掲載する記事としては初めてとなる今回は、早稲田大学政治経済学部の深川由起子先生へのインタビューを公開します。深川教授はアジア経済に関わっておられる方なのですが、そのゼミの対外活動性は他のゼミに比べて群をぬいていることから、経済学部の代表として選ばさせていただきました。ゼミの詳しいことはこちらのホームページも参照なさってみてください。大学におけるゼミとは何なのか?経済学部とは実際何をしているのか?これらを感じとっていただければと思います。
深川由起子 早稲田大学政治経済学部教授
・深川先生のゼミナールについて教えてください。
基本的に夏は北東アジアか東南アジア、どちらかで合宿し、秋は日本側は慶應、早稲田、東大、韓国側はソウル大、高麗大、延世大で、インゼミをやっています。夏の方は、去年はインド、その前が北京、さらに前がタイに行き、今年は上海の予定です。事前に先方の大学と打ち合わせて、向こうがプレゼンしてくれる場合もありますが、大体はうちが一方的に英語でプレゼンして、レスポンスをいただいたり、ディスカッションをしたりしています。その他にも日系企業やODAの現状を見たり、向こうの大学の先生がお話をしてくれたりしています。秋に関しては、六大学1チームずつプレゼンして、質問して、討論し、夜は飲みでというかたちです。基本的にディスカッションのテーマは学生に任せているのですが、東アジアで皆が関心をもってくれそうなテーマを選んでいます。ここ数年は自由貿易協定(FTA)に関することが多かったですね。中国においてはFTAが関係ないので、日中の経済協力などを行いました。その国と日本との経済関係を主にやっています。夏よりは秋の方が経済分析的なことをやっています。合宿以外では文献の輪読をやっていて、3年前期は東アジアに共通するイシュー、例えば「経済成長と平等」や「権威主義体制」「輸出主導型工業化」「国際分業」「直接投資」「技術移転」といったことをやっています。後期は国別に移って、それぞれ主要国の経済発展をケースとして掘り下げていくといったことやっています。4年では、卒業論文に向けて、3月にプロポーザルを行った後、それにそった専門的かつ実証的な文献を輪読しつつ、論文作成のノウハウを教えています。4年の後期ではだいたい論文が完成して行くので、その中間発表をし、周囲からのレスポンスを受けさせています。
留学生やまた留学から帰ってきた学生も多く、大体4分の1から3分の1はそういった学生ですね。
・卒業論文のテーマにはどういったものがありましたか?
「中国の産業集積と地域間格差」「タイへの直接投資と産業連関」「中国の経済成長と生産性の変化」「中国とASEANの競争力比較」などです。
・深川先生がゼミナールを運営されている上でどういったことを大切にされていますか?
学部ですので、一種の教養だと思ってやっています。あまり一つのことを細かくやるというよりは現代東アジアの経済成長が何故起きて、どういった特徴があるかを事実として良く分かってもらう、これが一つあります。ゼミの大きなテーマとしては「グローバル化と東アジアの経済成長」を挙げていて、アジア経済成長の特徴であるグローバル化を世界的な観点から一つのモデルとして見つめることを大切にしています。また日本は好き嫌いに関わらず地理的にアジアの一員ですので「アジアや近隣諸国とどう関わっていけばいいか」というどのキャリアに進んでも関係してくることを若いうちから分かってもらえればと思っています。3番目は、すごく高いレベルではなくとも、まとまって論理的に自分の考えを他人に説明していく、単に思う思わないだけではなく、論拠をしっかりとつけてプレゼンしていく能力を身につけることを意識しています。
うちのゼミの最大の特徴は、
1フリーターになってはいけない。
2国政選挙は必ず投票。
3家庭をもって子どもは2人以上。
という三原則があることです(笑)。模範的な日本人を育成するのが早稲田大学の教訓ですから。子ども1人じゃ人口減ってしまうから駄目です(笑)。3番目はさすがに強制ではないのですが、1,2は強制で、卒業したら何か世の中のため、自分のため、家族のために目的をもったことをやってください、大学院への進学も他に行くところがないからという理由ではなく、主体的な理由でおこなってくださいと言っています。月に2度くらいは企業の方の話を聞かせていて、日経コア30銘柄に入るような企業のなかから、できれば駐在経験があって、現場のことがよく分かっていて、色々な体験している人を呼んでいます。
・三原則の効果はどうですか?
早稲田大学に来てまだ短いのですが、しばらくいた青山学院大学での卒業生は順調に結婚、子どもも産んでいますね(笑)。あの頃は就職氷河期でしたが、フリーターになった人もいません。子どもはお金がかかるので、価値観の問題なのですが、子どもがいる人生かいない人生かを考えると、いる人生を選んでみる価値はあると思います。子どもが自分以上に成長する可能性もあるし、自分が子どもと一緒に成長できる可能性もある。世の中で一番効果の高い投資は教育投資なんです。金は全てが紙くずになる可能性もある、戦争になったら家も没収される可能性もある、けれども、自分で勉強して頭の中に入っていることは誰にも奪われることはない。ものすごくボトムラインがしっかりした投資なんです。だから是非子どもを産んで、子どもへの教育投資をどの世代も繰り返していってほしいなって思います。
・大学におけるゼミナールの意義、あるべき姿はどういたものだと思われますか?
大学でのゼミは特定テーマに絞って深く研究する、さらに通常のクラスと違って少人数で行うというものですので、インテンシブな環境にするということですね。また色々な議論というものがいかに体系的な中で形成されてきたかということを知る、インターネットやその他のメディアにある断片的な情報ではなく、歴史的に色々な議論がなされて、今このイシューがあるといった体系性を知ることも大切になってきます。さらに受け身ではない環境の中で、人の発表していることを適切に理解する、適切に質問する、これらが日本の高校生では全くできていないので大学生でやることとして大切だと思われます。
・深川先生のゼミや政治経済学部が求めている受験生や学生はどういった人ですか?
早稲田大学全体として、世界のどこへ行っても生きていける人を養成しようということを改革の目標としてやっていて、さらに私の属している学科は国際政治学科でまさにその道を歩むべき場所ですから、グローバルな視点でものを考えられる人をまず求めます。構造変革の中において、昔の知識や昔の秩序観が今では通用しなくなっている状態で柔軟な姿勢を示し、しかしながら自分が人生の中で重要だと思ったことは追求していける体力・気力・知力を身につけていける人が理想ですね。
・経済学部という場所はどういった進路を意識する人が行く場所なのでしょうか?
今は学部のレベルでははっきりいってどこでも同じですし、企業の人はあまり気にしていないと思います。在学中に司法試験に合格しているだとか、簿記1級もっているだとか、ITに関して卓越した能力をもっているなどといった人は別ですが、現在の状況ではどこの学部でていても大して変わらないと思います。現在高校生の学力がどんどん下がっていて、昔の大卒が今でいう院卒、今でいう大卒はほとんど昔の高卒くらいのレベルしかないと言われています。文学部出たら編集関係、法学部出たら司法関係、経済学部出たら銀行関係など、なんとなく向き不向きはあると思いますが、その他にも色々なやりようはありますし、学部のレベルでどうこう考えるのは違うのではないでしょうか。私のゼミナールには、のんべんだらりと人の後をついていって楽しければいいという人ではなく、人生の中で何かしらの自己実現をしたいと思っている人がほしいですね。楽なゼミもありますが、私のゼミは要求するものも多いですし。泣きそうになりながらやったり、4年に進級できない人もいたりします。口だけグローバル~~と言っていても行動が伴っていないと駄目ではないですか?自分の主張をしっかり英語で主張できる、言ってなんぼのものなので、その能力を身につけられることがもちろん必要です。私としてはどうにかこうにか、世界のトップクラスに伍しているといえる分量のアサインメントをこなしてもらおうとしているつもりなのですが。
・深川先生が研究者になられた理由はどういったことですか?
初めから大学に残って研究者になりたいと思っていたわけではありませんでした。私の世代は雇用均等法の前の世代でしたので、総合職なる結構なものはないんです。あらゆる差別の中で、例外的な職をつくっていけた人が生き残ってこれました。4年制の大学生を採用している会社もほとんどありませんでした。そういった中で、何回か転職しながらでしたがずっとアジアの研究、それも大学の研究のレベルではなくリサーチ、シンクタンクのレベルですのでどっちかというと研究というより調査をやっていた感じです。アジアの経済成長は非常にダイナミックな変化をしてきているので、それを実務と理論の間でずっと見てきている、どちらかといえば、実態をつぶさに見ることを大事にしてきたと思っています。アジアの場合、理論の解明が実態に追いつかない時代が長く続いていますので。
・深川先生が政治経済学部のAO入試で求めている学生はどういった学生ですか?
趣旨から言えば、個性のある学生でしょう。少なくとも作文と面接だけで入ってくるので、作文に印象に残る人、とがった人を期待しています。もちろん学校の成績は大切ですがある程度デコボコがあってもいいと思っています。また特異な経験をした人、例えば父の関係でアフリカに住んでいたとか、日本では経験できないことを経験した人も入ってきてほしいと思います。所謂普通の偏差値ではない人たちとは違う人たちを混ぜて採る趣旨は多様性を追求するからに他ならないのではないかと思います。
・慶應義塾大学SFCでは以前B方式において小論文、ディスカッションを混ぜたAO入試を実施していましたが、廃止されました。政治経済学部でのAO入試では現在小論文が実施されているのですが、AO入試において小論文を実施することについてどう思われますか?
個人的には小論文はやはり課したほうが良いと思います。「文は人なり」というのは非常に正しくて、確かに予備校の指導などはあるかもしれませんが、たくさん読んでいると、その人の考えている価値観だとか学ぶということに対する姿勢が反映されているのが分かります。人の文章を借りてきても面接でチグハグな場合もありますよね。論理的に書くということもそれなりに難しく、精神年齢も出ていると思います。
・AO入試の審査官、面接官として持たれている、また持つべき心構えはどういったものでしょうか?
私はあまり経験がないですが、一般的には受験生はガチガチに緊張していることが多いので、人間的にはまず、なるべく相手の良いところを聞きだすように話を聞いてあげる、その中で早稲田の水準であり、合っている学生を選んでいくということのように思えます。慶應と早稲田では明らかに違う人が集まってきているでしょうし、違う人を世の中に生み出していくということが違う学校があるという意義であるので、早稲田が慶應の真似をしてもいけないし、その逆もありえませんよね。
・AO入試の合格者に求めていることはどういったことですか?
学生は入ったら皆同じ扱いではないでしょうか。ただ、AOで受かって基礎学力の面でついていけない人は、謙虚に追いついて欲しい、英語や数学ができなければ履修してできるようにしなければいけないし、勉強の仕方が分からなければ良く分かっている学生に聞いてみたら良いと思います。
・現在のAO入試に改善点はありますか?
私個人は保守的な方なので、やはり学力のボトムラインというものはしっかりしなければならないと思います。TOEIC~点などラインを設けている学校もあるようですね。あんまり学力が低くてたまたま受かっても結局はついていくのが大変だし、そうあるべきでしょう。
・文部科学省が設定しているAO入試での定員50%のラインに関してどう思われますか?
私はAOだけで採るということは望ましくないと思っていますので、制限はあるべきだと思います。特に今大学全入の時代になってしまったので、一部では事実上、受験が崩壊に近いのではないですか。AOがやりたい放題になったら、大学は専門学校なのか予備校なのか、何が何だか分からなくなってしまうと思います。
・今後AO入試はどういったかたちを目指すべきだと思われますか?
適度なシェアで、上位の大学含めてしばらくは続けた方が良いような気がします。多様性という観点はやはり必要ですし。大学全入時代の淘汰はまだ進むでしょうから、この時期が終わるころにはもう一度AO入試のあるべき姿を考える時機になるかもしれません。
・政治経済学部の一般入試に関してどう思われますか?
政経学部がどうこうというより、一般論として、入試方式を猫の目のようにコロコロ変えないことが一番であると思います。たびたび色々な方式が生まれて分かりにくくなっていて、対策がしにくくなっているので。後は受験には運もあるし、落ちてもこの世の終わりではなくて、次の年受けたり違う学校行ったりすればいい。日本では縁というものがあると初めて経験するのが受験でしょう。ただ若い時ある時点で自分の限界に近い部分で頑張ることは大切で、今の日本からは入試がなくなるとその機会がなくなってしまいます。そういう意味で入試は馬鹿にしたものではありません。あれを思い出すと、米国のハードな大学院でも頑張れるというものなんです。結局企業が偏差値的に高い大学から採用するのは、一応受験は乗り切れた、というスタンプを押されているからなんですよね。そう割り切ってやればいいと思います。
・大学入試全体として目指していくべきかたちはどういったものだと思われますか?
知的なボトムラインというものはあるべきだと思います。意味もなく大学へ行くのならば大学へ行かないという選択肢もあり得る、特に日本のような国だと独特な家業の世界へ進む人もいるので、無理に来る必要はないと思います。大学が役に立つか役に立たないかという問いはその問い自体が間違っていて、大学というのはものを考えるところであって塾ではない。だから試験や暗記のテクニックを教えるのではなく、「生きるとは何か」「人を愛するとは何か」「働くとは何か」「科学するとは何か」などもっと根本的な問い、教養を反芻していく場所なんです。教養が直接にいろんな役に立たないのは当たり前、教養はテクニックではないのですから。ただ、大抵の学問にはしっかりした体系があって、例えば経済学だとミクロ経済学、マクロ経済学、計量、経済学史、経済史などといった五本の枝が太くて幹につながっている、そういう体系の中で勉強するのが大学の学びだと考えるべきでしょう。
・経済学部が今後目指している姿はどういったものでしょうか?
経済学には現在の経済危機をどうするか?といった政策的要請もあるわけですよね。必ずしも現実にすぐ答えられるとは到底思えないけれども、少なくとも起きたことを分析して理論的に普遍化していくことが経済学者がやっていくべきことだと思います。けれども日本の経済学は結構、ユニークな発展を辿ってきたので、未だマルクス経済学やそれに近い人たちもおり、残念ながら、英語でしゃべって英語でペーパー書いて、一流のジャーナルで常に研究活動している人は研究者のうち、むしろ非常に少数しかいない、というのが現実です。これは日本として立場を悪くし国益を損なっていますので、国際的に通用する人を創り出していくことが急務です。世界No.2の経済大国であるはずの日本が、No.2に見合うだけの研究実績があって、知的な影響を世界へ及ぼしているかというと全くそうではありません。
そして上の方はそういう人を育てる一方、真ん中のレベルでは所謂エコノミストと呼ばれる専門職を確立する必要があります。エコノミストという職は日本では誰でも、文学部の学部を卒業した人でもこれを名乗っていたりしますが、そんな国は日本だけで、世界ではかなり標準化された教科書、課程を過ごしている人しかなれません。エコノミストとは純粋の経済学者のみならず、もう少し実態の分析や政策的なことなどプラクティカルなことを処理していく人たちを含んだ広い意味です。医者の世界でも研究医だけではなく、臨床医などいろいろ分担があるでしょう。そういう分業がまだできていないので、とにかく裾野を広げながら、役割分担をもう少し明確にしつつ、人材育成する必要があると思っています。
・日本の大学が目指していくべき姿はどういったものでしょうか?
私などがいうのはおこがましくて気が引けますが、外部から大学に来た人間として言えば、大学がやることは結局、研究と教育で、それ以外にふらふら目を奪われない環境を確立することが大事に思えます。研究は先生たちが研究者というものを名乗っている限りは何か論文を書き続けて成果を発表しなければいけません。もう一方の教育ももっと丁寧に、緊張度を持って実践する日々の努力が重要でしょう。この二つで世の中に貢献していくことが大学の本来の役割で、やれ司法試験何人受かったかとか、有名人が在籍しているかどうか、など、あまり表面的なことに煩わされない大学が理想なのだと思います。
ただ、公的な存在でもあり、今は社会がかなり壊れていますから、精神的にちょっとおかしくなってしまって、企業に勤められなくなった人が大学院で勉強して立ち直ったりしてくれればそうした役割も大きい。つまり、大学は非常に社会的な存在ですが、趣味のサークルやNGO、ボランティア集団ではないので、体系的に研究と教育を組み合わせたサービスをしっかり提供する、良い成果を研究で、良い人材を教育で生みだして行くプロフェッショナルの集まり、でなければならないのでしょう。
・深川先生が企業に求めることはありますか?
大学の人間としては、採用の時期を遅くしてほしいと思います。今は非常に早い時期に採っていて、これは企業にとってもリスクが高いのではないでしょうか。だいたい3年から4年にかけた春に就職活動のピークが現在きているのですが、そうなると専門課程をやっていないかやって半年くらいの人を採用しているわけです。一方、4年の春に決まってしまうと、気が抜けてしまって緊張感が落ち、学業的なことがすごくおろそかになってしまっています。
大学でのパフォーマンスがいいことと、ビジネスマンとしての資質が必ずしも連動しないのは分かるのですが、もっと大学でのことも重視した知的な面接プロセスをやってほしいです。例えば外資系のインベストメントバンクなど一人に対して凄く丁寧・真剣に、厳しく面接していますよね。
さらに理科系では少し残っているのかもしれませんが、日本では推薦制度がワークしていないので、本当にこんな採用していてよく平気だなということが多々あります。大学では勉強せず、卒論もかかず、ただ就職活動はやたら熱心にやっている、そういう子でも受かってしまうことはありますが、大学としては自信をもって送り出せる人ではないので、大学での評価をもう少し重視してほしいなということはあります。
・これから大学進学を目指す受験生に対して、メッセージをお願いします。
大学では好きなことを勉強すればいいと思います。ただ、その勉強は高校の勉強とは違い、あれしろ、これしろといわれるのではありません。受験勉強と大学の勉強ではやり方が根本的に違うので、まずはそのノウハウを1年生のうちに身につけ、勉強のスタイルを確立した方がいいと思います。また基礎的な能力として重要なのは、正確な母国語、外国語、論理的な能力及びツールという意味での数学、さらに今の時代なのでコンピュータースキル、構造変化の時代であるから歴史観、この4つはあった方がいいと思います。
人生には1つの選択をとったらそれしか残らない選択と、それをとることで次は5つくらいの選択肢が出来る選択があります。オーバースペックを無視すれば、大学を卒業して高卒の職場には多分、行けるけれども、逆は難しいでしょう。英語ができたら英語を使う職場と使わない職場両方に行けますが、できなければ使わない職場しか行けません。そう考えると、若いうちは基本的に選択肢が増える選択の方がいいでしょう。乾坤一擲、その選択に賭けるというのも悪くはないですが、失敗した時に何も残らないのではそれは選択ではなく、賭博にすぎません。大学はいろんな選択肢があることを教えてくれる場所です。ただし、求めない限り、与えられません。青春を謳歌するもよし、知的に貪欲になるもよし、とにかく能動的に生きる気持ちを大切にして、大学を目指してください。
以上です。「何故大学へ行くのか?」この問いに対し、「受け身ではない環境の中で、人の発表していることを適切に理解する、適切に質問する、これらが日本の高校生では全くできていないので大学生でやることとして大切だと思われます。」「大学というのはものを考えるところであって塾ではない。だから試験や暗記のテクニックを教えるのではなく、『生きるとは何か』『人を愛するとは何か』『働くとは何か』『科学するとは何か』などもっと根本的な問い、教養を反芻していく場所なんです。」と深川教授は答えられている一方、「意味もなく大学へ行くのならば大学へ行かないという選択肢もあり得る、特に日本のような国だと独特な家業の世界へ進む人もいるので、無理に来る必要はないと思います。」とも答えられています。また、経済学部という場所はどういった人が行く場所なのか?という質問に対しては、「今は学部のレベルでははっきりいってどこでも同じですし、企業の人はあまり気にしていないと思います。在学中に司法試験に合格しているだとか、簿記1級もっているだとか、ITに関して卓越した能力をもっているなどといった人は別ですが、現在の状況ではどこの学部でていても大して変わらないと思います。」と答えられていました。
経済学部って、なんとなく経済について学んで、企業に有利、というイメージがあるかもしれませんが、深川教授のゼミナールの場合は「東アジアの経済」と、実際に自分が専門とするレベルは経済学の中でもさらに絞ったテーマとなります。逆に言えば、経済学部、といっても、自分のテーマに沿って国際関係の研究を進めることも可能です。
大学での学び、研究が、想像よりも深いな、と思われた受験生がおられるかもしれませんが、ただ、就職活動の面になると浅いまま終わっていることも日本の現状です。たいていの大学の場合、3年生から専門的教育、研究が始まるのに対し、就職活動は3年の秋から。大学での頑張りが社会的に評価されなければ、学業に力を入れる気持ちも難しいこととなります。
AO入試に関してもインタビューの中で触れましたが、深川教授がAOにおいて重視されていたのは「個性」「多様性」である一方、基礎的な学力や青田買いAOに関する懸念の意を示されていました。また、現在SFCにはない小論文による選別も「必要」であるそうです。ただ、確かに良い文章、論理的な文章を書くことができる受験生の方が「賢く」見えますが、そういった能力がAO入試でみる将来性にどれだけ影響するのかはこれから検証するべき部分であるといえます。
次回は再び経済学部、東京大学小野塚教授のインタビューを掲載予定です。「経済学部に行く学生が具体的に何をしているのか?」「経済学部で学ぶことは将来生きてくるのか?」これらへの問いをより鮮明にお伝えできればと思います。