第732回:復帰戦もしくは引退試合⑥

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畳に上がって、先鋒の奴とすれ違って、礼をして試合場に入る。審判が「はじめっ」って言う。ファーストコンタクト。この実際に相手と触れ合う直前、頭に浮かんだのは「自分、本当に試合出ちゃってるよ」という感覚。数ヶ月前に出場が決まって、必要最低限の手順を踏んでここまできた。圧倒的準備不足で、変な話だがこの瞬間まで「戦う」ことの実感がなかったのかもしれない。

そんなことを思うのも一瞬、昔身体に染み込ませた組手の手順を踏んでカタチを作る。左組み同士の相四つだから、まずは右手で相手の肩を突いて、左手も使って引き手を絞ってから釣り手を作る。相手が自分よりだいぶ大きいから、この絞りが生命線。ここを切られると奥襟なんか叩かれたりして、メチャクチャされてしまう。っていっても練習してないと組み力は絶望的に弱い。いけるか?無理か?みたいな気持ちで一発作ってみると、「あれ、意外と切られない」。なんなら釣り手まで、割と良いところ持てたりして、いわゆる組み勝ってる状態になった。そんな展開に自分自身、大いに戸惑った。組み勝つのはもちろんポジティブなことなのだが、そうなると技を出していかないといけない。投げに行かないといけない。しかしこれは組み勝つより数段難易度が高い。組み力と同じく、練習していないと技の力がとにかく弱くなっている。大外刈りなんか入ろうもんなら、パフッとかポスッとかの気の抜けた効果音が鳴りそうなくらい威力がない。そうなると返されるリスクも出てくる。結論、組み勝っても動けない・・・。これまた言葉を選ぶのが難しいし、さすがに試合中ではなく後日冗談半分に思ったことだけど「下手に組み勝たせてくれるなよ、そこからが何もできないのがバレるだろ」。

そんな意外にも通用してしまった組み手も、残り1分くらいになると力尽き、徐々に奥襟を叩かれるようになった。とはいえ、完全に組み負けるような展開にはならず、相手も特に何もしてこず、引き分け。相変わらず面白くない試合をしてしまったなぁ、と思ったが、まぁ仕方ないよな、と思った。試合後の礼をするとき、相手の袖に血がついていることに気がついた。後半バシバシ奥襟叩かれた時、僕の顔が当たっていた部分だ。上から順番に顔を触ってみると唇が切れて出血していた。やれやれ、なんて野蛮なスポーツなんよく五体満足で乗り越えたもんだ、と一人勝手にホッとし畳を降りた