放置が終わると、また一巻き一巻き手作業でクルクルを取られた。「初めてだったので髪質が分からなかったんですが、ちゃんとパーマ入ってますね〜」なんて言われながら。少しずつ明らかになる自分の斬新な頭に、これは果たして似合っているんだろうか?と不安になった。「今日1日はできるだけシャンプーとか控えてください」と言われた。汗かくのはいい?と聞いたら「午後トレーニングでもするんですか?」と苦笑された。結構いろんな話をしたから、どういう人間か、バレてた。 最後にまた髪を洗ってもらって、ワックスでセットしてもら [→続きを読む]

髪を洗って軽く切ってから、いよいよクルクルしてもらった訳なのだが・・・テレビで見る大阪のおばちゃんなんかのイメージで、頭の中では分かっていたつもりだけど、パーマというのは一巻き一巻き手で巻いていくんだね。脱脂綿みたいなのに薬品を染み込ませて、それと髪の毛一掴みを細いプラスチックの筒に巻きつけて輪ゴムで留める。それの繰り返し。機械とかで一気にクルクル〜ではないのだ。一巻き一巻き、実に現代ぽくない地道な作業だ。「なるほど、これは2時間かかるわな」と気がついた。薬品の匂いは、確かに今まで美容院で嗅ぐそ [→続きを読む]

美容院は“五反田”と時間帯で検索しただけで、詳しい場所は行く直前まで把握していなかったけれど、東口のいわゆる歓楽街の通りに面しただいぶ怪しいビルの2階にその美容院はあった。来る前にシャワーを浴びて、からろくに乾かしもせずセットもせず自転車に乗って五反田まできた。当然頭は爆発している。そんな風貌で怪しいビルに入っていくと、朝から並んでパチンコして、手持ちがスッカラカンになって、遂に消費者金融に手を出しに行く廃人寸前のギャンブラーみたいな気分になった。 僕はいわゆる”イケてる側の人間”として生きてき [→続きを読む]

32歳にもなって大声で言うようなものでもないけれど、僕には「人生に一度くらいパーマとかかけてみたい」という野望があった。もちろんパーマをかけるためにはそれなりの髪の長さが必要になる。しかし僕は生まれてこのかた髪を伸ばしたことがなかった。柔道の競技特性上および前時代的な文化上、現役中に髪を伸ばすなんてことはあり得なかったし(僕としてはそれを特に嫌だと思ったことはない)、引退してからも暑苦しいのが苦手でずっと短髪で過ごしてきた。目安としては、耳に髪が触れない、おでこに髪が垂れてこないという水準をずっ [→続きを読む]

当然ながらスタジオで歌うのは初めてだし、知り合いでもないスタッフさんが2人も自分の歌のために照明やらなんやらを調整してくれる環境に大変恐縮したけれど、やっぱりカラオケルームで生演奏していた時よりも格段に歌いやすかった。要は自分の声がどれだけ聞こえるか、の違いなのだが、ただのカラオケルームだと楽器の音が大きすぎてほぼ聞こえない。その点スタジオだと、ボーカルに向けたスピーカーが目の前に付いていて、自分の声がマイクを通じてちゃんと自分に届くようになっていた。興味本位でスタッフさんに「イヤモニなんかも貸 [→続きを読む]

以前ここのブログでも書いた楽器好き・歌好きが趣味で集まって演奏し合う演奏会が1月最後の週末も開催され、謹んで下手くそな歌を披露してきた。 このささやかな演奏会も着々と進化してきていて、今回からちゃんとした音楽スタジオを借りて開催された。これまでは、いちおう一通りの楽器やアンプが備え付けられたカラオケで開催していたのだが、やはりベースがカラオケ店なので設備のクオリティが低かった。前の人の使い方が悪かったのか、ドラムの面が少し割れていたり、アンプとの接続不良でキーボードの音が上手く出なかったり。加え [→続きを読む]

そんな生活を2週間くらいキッチリこなした結果1月25日時点で92kgくらいまで体重は落ちた。だいたい2週間くらいで5~6kg減。一般的に見て悪くない成果のはずだ。変化が急激すぎて、身体には少からず負荷がかかっているに違いないが、むしろ規則正しく、そこそこ栄養バランスの良い食事になったことで健康的には悪くはず(と僕は思っている)。ただ、流石にお腹ペコペコでウエイトトレーニング~バイク漕ぎに臨んだ週末は、意識が全く集中できないこともあった。どうやってもボーっとしてしまい、身体を少し動かすのも億劫な気 [→続きを読む]

ここだけの話、僕はここ二年くらいで太っていた。成人してから、と言うより中学3年生で90kg超級になってから考えて、一番体重が軽かったのは青梅マラソンを走った2020年の2月で、90kgくらい。この90kgについては、マラソン大会に向けて比較的一生懸命減量をした結果だったから、2~3kgくらいはすぐにリバウンドした。その92~93kgくらいでしばらく生きてきたのだが、2022年頃から少しずつ重くなっていった。キッカケは明白で、2022年から会社でやらせてもらっているプロジェクトの関係で全国に出張し [→続きを読む]

と、まぁそんな使いものにならないガキを、その上司は厳しくも厳しく根気強く育ててくれた。手取り足取り丁寧に、というタイプではなく、適度に「自分で考えてやれ、分からなければまず自分で調べろ」のスタイルで、今思えば僕にはよく合っていたんだと思う。割と怖かったし。 この人の言葉で、今でも僕の心に残っているものが2つある。 一つは「IRという仕事は、社長や役員と距離が近い。だからと言って、自分が偉くなったなどと決して勘違いしてはいけない。営業や事業の現場で頑張ってくれている他の社員あってのIRなのだから、 [→続きを読む]

12月もう一つの別れは、会社の上司だ。僕は、柔道部を引退して2018年4月からいわゆる普通のサラリーマンとして働き始めた。最初の上司は若干ウマが合わずに、僕もクソ生意気で、いつも喧嘩ばかりしていた。引退したてで体力も有り余っていたから何回かぶち投げてやろうかと思うくらい喧嘩していた。 ウチの会社は10月末で期が終わり色々と組織改変が起きる。その改変の一部として、2018年11月から僕はその今回別れた上司の下に就き、経営企画の中のIRがメイン業務になった。ウチの会社、10月で期が終わるということは [→続きを読む]