当然ながらスタジオで歌うのは初めてだし、知り合いでもないスタッフさんが2人も自分の歌のために照明やらなんやらを調整してくれる環境に大変恐縮したけれど、やっぱりカラオケルームで生演奏していた時よりも格段に歌いやすかった。要は自分の声がどれだけ聞こえるか、の違いなのだが、ただのカラオケルームだと楽器の音が大きすぎてほぼ聞こえない。その点スタジオだと、ボーカルに向けたスピーカーが目の前に付いていて、自分の声がマイクを通じてちゃんと自分に届くようになっていた。興味本位でスタッフさんに「イヤモニなんかも貸 [→続きを読む]

以前ここのブログでも書いた楽器好き・歌好きが趣味で集まって演奏し合う演奏会が1月最後の週末も開催され、謹んで下手くそな歌を披露してきた。 このささやかな演奏会も着々と進化してきていて、今回からちゃんとした音楽スタジオを借りて開催された。これまでは、いちおう一通りの楽器やアンプが備え付けられたカラオケで開催していたのだが、やはりベースがカラオケ店なので設備のクオリティが低かった。前の人の使い方が悪かったのか、ドラムの面が少し割れていたり、アンプとの接続不良でキーボードの音が上手く出なかったり。加え [→続きを読む]

そんな生活を2週間くらいキッチリこなした結果1月25日時点で92kgくらいまで体重は落ちた。だいたい2週間くらいで5~6kg減。一般的に見て悪くない成果のはずだ。変化が急激すぎて、身体には少からず負荷がかかっているに違いないが、むしろ規則正しく、そこそこ栄養バランスの良い食事になったことで健康的には悪くはず(と僕は思っている)。ただ、流石にお腹ペコペコでウエイトトレーニング~バイク漕ぎに臨んだ週末は、意識が全く集中できないこともあった。どうやってもボーっとしてしまい、身体を少し動かすのも億劫な気 [→続きを読む]

ここだけの話、僕はここ二年くらいで太っていた。成人してから、と言うより中学3年生で90kg超級になってから考えて、一番体重が軽かったのは青梅マラソンを走った2020年の2月で、90kgくらい。この90kgについては、マラソン大会に向けて比較的一生懸命減量をした結果だったから、2~3kgくらいはすぐにリバウンドした。その92~93kgくらいでしばらく生きてきたのだが、2022年頃から少しずつ重くなっていった。キッカケは明白で、2022年から会社でやらせてもらっているプロジェクトの関係で全国に出張し [→続きを読む]

と、まぁそんな使いものにならないガキを、その上司は厳しくも厳しく根気強く育ててくれた。手取り足取り丁寧に、というタイプではなく、適度に「自分で考えてやれ、分からなければまず自分で調べろ」のスタイルで、今思えば僕にはよく合っていたんだと思う。割と怖かったし。 この人の言葉で、今でも僕の心に残っているものが2つある。 一つは「IRという仕事は、社長や役員と距離が近い。だからと言って、自分が偉くなったなどと決して勘違いしてはいけない。営業や事業の現場で頑張ってくれている他の社員あってのIRなのだから、 [→続きを読む]

12月もう一つの別れは、会社の上司だ。僕は、柔道部を引退して2018年4月からいわゆる普通のサラリーマンとして働き始めた。最初の上司は若干ウマが合わずに、僕もクソ生意気で、いつも喧嘩ばかりしていた。引退したてで体力も有り余っていたから何回かぶち投げてやろうかと思うくらい喧嘩していた。 ウチの会社は10月末で期が終わり色々と組織改変が起きる。その改変の一部として、2018年11月から僕はその今回別れた上司の下に就き、経営企画の中のIRがメイン業務になった。ウチの会社、10月で期が終わるということは [→続きを読む]

あくまで個人的な考察だが「スナックは、店員さんと”会話”ができるのが良い」と僕は思っている。もちろんお店にも拠るし、店員や客のパーソナリティに拠るが、スナックは大体みんな対等でそこには会話が成り立つ。それこそガールズバーやキャバクラは、明確に男がお金を払って女性に相手をしてもらっていて、人間対人間の会話は成り立たない。男は、一生懸命口説いたり、愚痴を聞いてもらったり、勘違いした御託を並べて自分に酔い、女性はそれをただ「うんうん」と聞いている。「すごーい」とか「へー、知らなかったー」とかを適度に挟 [→続きを読む]

この12月は、僕にとって大きな別れが二つあった。 一つは行きつけの飲み屋だ。場末とまでは言わないが、間違いなく世の中の中心には位置していないスナックで、カウンター6-7席、4人くらいのボックス席が二つの小さなお店だ。2010年くらいからやっていて、ベースはママが一人、プラス女の子が1-2人くらいいる。僕がこの店に初めて行ったのは多分9年くらい前、23歳の時。僕が今の会社の柔道部に入って少しした頃に先輩に連れて行ってもらったのが最初だ。それからことあるごとにその先輩と一緒に遊びに行った。血気盛んな [→続きを読む]

僕は学校に沿った細い道の上で、畑と学校に挟まれながら校庭のネット越しにそれを眺めた。よくキックベースでネット越えのホームランを打ってボールを探しに行っていた道だ。畑も家も、突然サッカーボールが降ってきてさぞ迷惑だったろうな、と今なら思う。当時はネット超えをした自分が誇らしく、「どんなもんだ」とボールを探していた。 晴れてもいない・曇ってもいない天気で、星はあまり見えないけれど、あたりが暗いから月はやけに明るく見えた。その月に向かって、すぐ目の前、50mくらい先の校庭から上がる花火は大きかった。こ [→続きを読む]

直前まで知らなかったのだが、学校内は打ち上げのために入場禁止となっていた。だからその周りで、各々適当な場所を見繕って観るスタイルだった。僕の実家は学校からちょうど1kmくらいのところにあるのだが、そこのすぐ近くの橋も鑑賞スポットとして案内されていたから、結構広い範囲で各々見ていたと思われる。 打ち上げ場所の学校の周囲は、街灯も少なく暗い中、近くに住んでいると思われる老若男女がパラパラとその時を待っていた。行くまでは「もしかして同級生に会うかも・・・挨拶されたらどうしよう、気がつけるかな?」などと [→続きを読む]