今年の講道館杯は無観客での開催だから、応援には行けないなぁなどと思っていたのも束の間、今年は付き人として選手に同行することとなった。付き人とは、言葉の通り、出場する選手と行動を共にして、練習の相手になるのはもちろん、試合の順番の確認・ドリンクの準備などいろいろなサポートをする人間のこと。歌舞伎役者のお弟子さん、お相撲さんのおとうと弟子、というイメージだ。そういう雑用云々を頼みやすいという意味で、普通であれば出身大学の後輩などにお願いすることが多いのだが、なんせこの時代、「他の所属の選手を招集する [→続きを読む]

今月末、10/30(土)~1/1(日)、お馴染みの講道館杯が千葉で開催される。おそらくこれがwithコロナの時代になって柔道界初めての全国規模の大会のはずだ。通常であれば各世代の大会(インターハイとか全日本学生とか全日本実業団とか)で上位に入った選手が出場できる大会だが、今年はその各世代の大会が開催されていないものだから、ほぼ去年と同じメンバーでトーナメントが組まれているらしい。この時代になって初めての大会ということで、開催する全日本柔道連盟もアレコレと対策を講じているようだ。 大会は無観客で行 [→続きを読む]

最近、少しばかり身体が大きくなったような気がする。脂肪を蓄えたのではなくバルクアップしたようだ。言われて考えると、確かにコロナのせいでトレーニング量は増えている。どうコロナのせいかと言うと、まず夜飲みに行かなくなった。それから在宅勤務だと仕事は9-17時でだいたい終わる上に身だしなみを整えたり通勤する時間が不要。つまり暇になった。その分トレーニングをするわけだ。引退した僕にとってトレーニングは趣味である。ちょっと変なのは、自覚している。 ここ数ヶ月の平日は、朝は家の周りでランニングトレーニング、 [→続きを読む]

そんな中、先日、絵に描いたような①の二人組みとサウナで一緒になった。歳はおそらく僕とあまり変わらない。30前後。会話を聞くに、片方は107kgで片方は98kgらしい。どちらも比較的身長のある①で、普通の人としては珍しい3桁プレーヤー(100kg以上を経験したことのある人間)だ。なにやら98kgは、最近健康診断に向けてダイエットをしたらしい。「おー偉いな」と思って聞いていると、どうやら一人の時は野菜中心の食事に切り替えたらしい。それでどのくらい痩せたんですか?と107kgが聞くと「2kg!2週間で [→続きを読む]

1-2週間に一度スーパー銭湯に行く。今の一人暮らしの風呂はこじんまりとしたユニットバスで、わざわざお湯を張って浸かる気にはとてもならない。そもそも僕のような体積の人間は、いわゆる普通の一人用サイズの風呂だと、体育座りみたいに膝を抱え更に寝そべるような態勢になってやっと肩まで浸かれるという感じで、そのうえ一度浸かればお湯はほとんど残らない。だから、ユニットバスだろうと別々タイプだろうと湯を張ったところでゆっくりできるわけでもない。そんなわけだから普段はシャワーだけで済ませるのだが、たまにちゃんとお [→続きを読む]

先週の土曜日、映画“テネット”を観た。川崎ラゾーナプラザの中にある109シネマに、レイトショーの時間、一人で、カーシェアを使って観に行った。 思えば、映画館に映画を観に行くなんてずいぶん久しぶりだ。以前はよくこんな風に一人でレイトショーを観に行ったもんだけど、それが許されない時代だったわけで。まだ決して油断できる状況ではないけれど、昔の平穏を一つ取り戻した気がして少し嬉しかった。 映画の感想を一言で言うと「よく分からなかった」だ。CMでカッコよく謳われているように、ごく簡単に言えば、時間が通常通 [→続きを読む]

8月に入ってから二皮剥けた。一皮じゃない二皮だ。文字通り、二回脱皮したのだ。そう、日焼けしすぎた後に皮が剥けるやつだ。8 月のジリジリする太陽の下、何回か実家近くの川で昼日中ミッチリ遊んだせいだ。8月の前半 に1週間くらいかけて第一次脱皮をして、今まさに第二次脱皮中だ。 思えばここ2年くらい川やら海やらでガッツリ遊んでいなかった。それ以前はいちおう柔道家だったわけで、日焼けすると道着に擦れて地獄を見ることになるので焼けないよういちおう気を付けていた。そうすると何の気も使わずに無邪気に日焼けしたの [→続きを読む]

そんな環境で幼少~少年期を過ごした僕は、当然ながら毎日その大自然で遊んだ。奥多摩湖から流れ出る渓谷の水は夏でも冷たく、それがまだ氷のような春先から、周りの木々が赤く染まり始める頃まで、上半身裸の海パン一丁で家から川に降り、いつも遊んでいる場所まで遡上して、日が暮れる頃に川下りをして帰ってくるような日々。おそらく普通の人だと息を飲むような激しい流れの中を身一つで上ったり下ったりしている姿は、カッパのようであったことだろう。まあ体型に関しては昔から、猫背でヒョロっとしたカッパのそれとはだいぶかけ離れ [→続きを読む]

 前回の記事にも少し関連するのだが、僕は中学を卒業して高校の寮に入るまでの約15年間、青梅に住んでいた。今も実家はそこである。青梅の中でも僕の家がある場所は、位置的にも環境的にも奥多摩に近く、最寄駅は宮ノ平という青梅駅から奥多摩線で一つ目の駅だ。いわゆる田舎の駅で、昔から改札のない無人駅。最寄りのコンビニまでは歩いて15分くらいかかるし、コンビニの駐車場はやたら広いし、要するに東京都は思えないThe田舎、まさに石原元都知事の言った「東京のチベット」である。 渓谷を挟んだ山の斜面に家々がへばりつい [→続きを読む]

 東京都から出ることなく、自然と遊ぶことのできる僕の実家—青梅奥多摩は、このコロナ禍において最適な帰省先かもしれない。この8月はそんな観点で友人を連れ何回か実家の方に足を伸ばしてゆっくりさせてもらった。帰省とはいえ、運動もしない上に食生活にもさほど気を使わない高齢な両親や、昨年生まれたばかりの赤ん坊を抱える姉家族を危険に晒すわけにはいかないので、家族との濃厚接触はなし。泊まるのは数年前に亡くなった祖父母の家である。今ではイベント事でしか使っていない空き家だ。実家から1km弱のところ、僕の小学校時 [→続きを読む]