第446回:ファイト!

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本人の歌っている原曲ではなく、Mr.Childrenの桜井さんが歌っているバージョンだが、最近、中島みゆきさんの「ファイト!」にハマっている。

僕が音楽を聴くのは主にトレーニング中で、この「ファイト!」もよく走りながら、あるいは重いものを持ち上げながら、歯を食いしばりながら聞いている。我ながら単純ではあるけれど、ファイト!と叫ばれると、何となく少し早く走れたり、いつもより一回多く重いものが持ち上がったりするものなのだ。

こんな話をすると、ウチの母親なんかはきっと、「中島みゆきバージョンの方がずっといい」と噛みついてくるだろう。なにやら高校の先輩だかなんかで、中島みゆきさんの肩を持つ傾向がある。その上、俺が好きすぎるが故に桜井さんを軽視する傾向がある。俺がひねくれ者なのは、遺伝だ。

まぁ誰が歌っているか、なんてのは嗜好性の問題だからここでは置いておくとして、中島みゆきさんの歌詞は、ちょっと凄いなと思うのだ。

僕は恵まれていて、「中卒だから仕事もらわれへん」かったことはない。幸いにも、「女が子供を階段の上から突き落としている現場に遭遇」したこともない。「女に産まれて、力づくで男の言いなりになった」こともない。東京生まれ、東京および神奈川育ちだから、「田舎のしがらみに捉われて上京の切符を燃やそうとして燃やせなかった」こともない。

つまりこの「ファイト!」に、自分の体験として共感できる要素なんて何一つない。それでもなぜか、その寂しさや悔しさが分かるような気がするのだ。自分が味わったことのないその感情が、まるで自分が経験したことのように、懐かしい思い出のように感じられ、よし頑張ろう!と思えるのだ。

 

そこら辺に転がっている、大量生産大量消費型の当たり障りない歌詞なら、俺でも書けるんじゃないかと思ったりもするけれど、「ファイト!」は書けない。

それでこそ“詩”だよなぁ、なんて生意気なことを思う。