第114回:『自分から始まる学びの場のデザイン』の鼎談を聞いて
こんにちは!
もう六月になってしまいましたね;;
前期がもう半分終わってしまったかと思うと、本当に時が過ぎるのは早いなぁと思ってしまいます。
今日は、最近の授業で、とても面白い授業があったので、紹介します。
それは、井庭先生の、「社会システム理論」という授業の中の、補講で行われたものです。
その回は、東京コミュニケーションスクールという小学生がSFCのように実践を大事にしながら研究までしてしまうという学校の校長先生である市川さんと、カタリバの今村さん、そして井庭先生が鼎談されました。
「自分から始まる学びの場のデザイン」というテーマだったんですが、教育はこれからどうなっていくのか、ということについて、三時間議論が行われました。
今回は、内容がとても濃かったので、その中で私が印象に残ったことについて書こうと思います。
まず、市川さんがおっしゃった言葉で、
「無意味に見える物事に意味を見いだし、しぶとく、たくましく取り組む」
というものがあり、それはとても大事なことだと思いました。
無意味に見える物事に意味を見いだせる人ほど、価値を見いだせ、自分自身も楽しく日々を過ごせると思います。
小学生の「学び」というと、
「教科書に載っていることについて理解する」
というように捉えがちですが、その考えとは正反対の捉え方をしていらっしゃいました。
私は大学生になってから、行動することの大切さなど身にしみてわかるようになりましたが、それを小学生のうちに学ぶことができたら、大学生までに吸収することができることがとてもたくさんあるんだろうな、と思います。
そして二つ目に印象に残ったことは、今被災地で教育のプログラムを行っている、今村さんの言葉です。
それは、被災地にいる子供たちに「自分グラフ」(自分のモチベーションを、グラフで書いて示してもらうもの)を書いてもらったそうです。
そして今村さんは、両親を亡くされた高校二年生の女の子が書いた自分グラフについて話してくださいました。
その子の書いた自分グラフは、被災して一気に下がっていたそうなんですが、今は上へのびている、ということです。
「周りに、自分より若いのに両親を亡くした子がいるのに、私がずっと沈んでちゃいけない」
そう思って、今は積極的にボランティアなどをしているそうです。
ですが、高二ということで、この子を支えることは必要でしょう。
私は、それが教育の役割なのではないか、と思います。
様々なことを学び、同年代と出会い、将来について考えられる場であると思うのです。
これから、被災地は復興に向けて、教育のかたちも考えていくことになるでしょう。
そのときに、より良いものにできたらいいのではないか、と思っています。
長くなってしまいましたが、本当に興味深い内容でした。
それでは、今週もがんばりましょう!
慶應義塾大学 総合政策学部 山本 峰華