第126回:福島で感じたこと 1
更新が遅くなってしまってすみません。
あっという間に九月になってしまいましたね!
時が過ぎるのが早すぎて、本当にあせります;;
今日は、私が先日言ってきた、福島へのボランティアについて書きたいと思います。
私は、福島県、会津若松に行ってきました。
会津若松には、原発の被害にあっている、大熊町や楢葉町の方の多くがいらっしゃいます。
私はそこで、ボランティアを一週間行ってきました。
大熊町や楢葉町の皆さんは、避難所を転々とし、やっと会津若松にやってきました。
2~3回もの避難所の移動を繰り返したそうです。
今は、第二次避難所と言われるホテルや、仮設住宅にいらっしゃいます。
私は、ここで子どもたちと遊ぶことや、グリーンカーテンを仮設住宅に被災者の方と一緒に設置することをしました。
今回は、こどもたちについて書きます。
皆さんは、避難している方々は今どうしていると思いますか?
私だって、ずっと入っていたわけではないので、わかるわけではありませんが、、、
子どもたちは、とても元気に遊んでいました。
ですが、その奥には、寂しさがあったように感じます。
転校を繰り返し、いつ3月11日まで遊んでいた場所に帰ることができるのかもわからないという現状があるのです。
私は、明日から新学期が始まる、という時に行きました。
そのため、
「学校、明日からだね。楽しみ?」
と聞くと、
みんな、
「うーん」
と言うだけでした。
六月ごろ、転校した、学校。
まだ馴染めていないのか、前からの友達がいないからか、
「学校が楽しみ!」
という思いは持っていなかったように思います。
実際、転校をしてきて、
「放射能だー」
といじめられた、という子どもがいる、という声も聞きました。
現実は、とっても厳しかったです。
こどもたちだけではありません。
お母さんやお父さんは、これからどこで生きていくのか、どう稼いでいくのか、問題が山積みです。
皆さんも、この現実に向き合って頂きたいです。
私がここで伝えることで、この問題を再認識してほしいです。
慶應義塾大学 総合政策学部 山本 峰華