第4回:インターフェースについて・2

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今日は前回に引き続き、インターフェースの話。
たとえば目の前にドアがあるとする。ドア、というよりは、2つの空間を仕切る何かがある、と考える。

これが「ドア」なのか「ふすま」なのか、はたまた「壁」なのかは、そのインターフェース、つまり、「人間から見てどうか・どう使うものか」で決まる。

昔、僕の住んでいた家には、開かずの間というものがあって、それは開けてはいけない扉で、また、僕もそれに好奇心をかきたてられたりすることはなく、むしろ、ルールは遵守するものだという気持ちから、一度も開けることはなかった。そういう生活をしていると、そのドアも、その先にある空間も、「壁」に思えたものだ。

これに同じく、「ふすま」しか知らない、むかしの人が現代にタイムスリップしてきたら、きっと「ドア」を見て、「壁になにかついている」としか思わないのではないか。

でも、自動ドアはどんな人でも通れる。奥が見えるから、先に空間があるのがわかる。戸を引かなくても、取っ手をまわさなくても、前に歩くだけで、進むことができる。これはなかなかなインターフェースだ。

人間中心の考え方で、人間本位でモノを考える、作るときに、人間工学やインターフェースは重要な概念。そういうモノの考え方をするとき、常に大事なのは、「今の人間の動作に取り込む」ということ。
たとえば、高機能だけどボタンがやたらめったらあるカメラより、オートでなんでもやってくれるカメラのほうが、使いやすいのは当たり前。すべての仕切りを自動ドアにできるなら、昔ながらの引き戸のほうがいい、という人はあまり居ないと思う。
もっと言うと、「この映像を残したい」と思ったら、シャッターを切らなくても写真が残っていれば素晴らしい。歩くだけでドアが開くように。

というのが、「インターフェース」についての、僕の考え方。僕の研究テーマでもあり、SFCでもわりと人気のある分野だと思う。

ひとつひとつ、今ある技術の先端を学び、その発展した先を考える。それだけではなく、「人間がそれをどう使うか」を常にイメージして、大きなビジョンは見えなくとも、具体的な近未来を一つひとつイメージしていく、ということをやっていく。AO入試にも通じるものがあるな、といつも思う。

今回でインターフェースの話はおしまい。次回は、
「システム」という言葉について話したいと思います。

更新:2012-07-27 慶應義塾大学 環境情報学部 中園 翔