高校時代から「人と人、人とモノ」との関係に興味を持ち、「人工知能」や「コミュニケーション」などを合い言葉に、いろいろな研究をしてきました。といっても、それほど難しいことではなく、「どうやって人に自分の思うことを伝えよう」ということが僕の全てです。  今では、SFCふうに「インタラクション」だの「コンテクストアウェア」だのといった言葉に馴染み深くなってしまいましたが、その意味するところは本質的には高校生の頃と変わりません。情報学・論理学的なモノの考え方、やり方が、自分の世界をどこまで変えてくれ [→続きを読む]

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「ノウアスフィアの開墾」という論文がある。Eric S. Raymond によって1998年に書かれ、Web上で公開されたものだ。翻訳版は、http://cruel.org/freeware/noosphere.htmlなどで参照できる。 ノウアスフィアとは、Wikipediaによれば、>ノウアスフィア(noosphere)は、ウラジミール・ベルナドスキーとテイヤール・ド・シャルダンが広めた「人間の思考の圏域」を示す言葉。ギリシャ語のνοῦς(nous, ヌース、精神・思考)とσφαῖρα(sp [→続きを読む]

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受験も、プログラミングも、どんな物事もそうだが、一つの物事にじっくりと取り掛かるというのは、単純ではない仕事だ。途中で投げ出すことなく、何が何でもやるという「モチベーション」。目標を定め、実行するための見積もりをする「冷静さ」。そして、どんなことがあろうとも見積もりの通りに動くという「過去の自分への忠実さ・誠実さ」が要求される。 この三つのどれが欠けてもダメだ。それはプログラマーとして生活していると強く感じること。 モチベーションだけが存在するような物事は、周期的に襲ってくるような「他のモチベー [→続きを読む]

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Webを支える技術として、大きく言うと二つのメソッドがある。* GETメソッド – Webから情報を「取得する」。GETすることにより、端末がhtmlコンテンツを受信し、ブラウザなどを通してそれを閲覧することができる。* POSTメソッド – Webを通じて情報を「送信する」。POSTすることによって相手側の端末にユーザの入力データ(パスワードや、メールアドレスのフォームの入力内容などだ)を送信し、反映させることができる。 もともと、HTTP通信、つまり現在のWebは、「 [→続きを読む]

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Google Glassのトレイラームービーはいつ見ても刺激的だ。 http://www.google.com/glass/start/how-it-feels/で動画を見ることができる。Google Glassは、そのプロジェクトが開始したと宣言された時から、多くの注目を集め、議論を呼んできた。僕も、こうしたデモムービーが発表されるたびに、「あまりにも感動的すぎる」ユーザ体験に心を奪われてきた。 Google Glassのできることは、実はスマートフォンで出来ることとそれほど違っているわけでは [→続きを読む]

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プログラミングを学ぶ上で重要な考え方のひとつとして、「デザインパターン」とか「アーキテクチャ」という概念がある。「デザインパターン」とは、プログラミングを進めていく上で突き当たるであろう問題を解決するための「典型的な方法」だ。身近な例でいえば、「コンロが一つしかないキッチンだが、夕食にはカレーだけではなくコロッケも提供したいと考えている。どうすれば2つの料理が冷めていない状態で提供できるだろうか」などといった問題だ。このとき、最善の回答は「新しいコンロを用意する」とか「隣家のコンロを使わせてもら [→続きを読む]

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「ビッグマック指数」という言葉がある。経済学で扱われる指標で、「その国におけるビッグマックの値段」を基本レートにすることで、経済力や購買力、通貨価値を計ることが出来るという理屈だ。なぜ、オリーブオイルでもベアリングでもパピルス紙でもなくビッグマックなのかというところには、マクドナルドの持つ世界的な事業展開の力がある。ビッグマックは、その複雑な商品の内部構成(バンズにビーフパティ、レタスにトマトにピクルス、チーズは入っていただろうか?)にもかかわらず、ほとんどの国で同一の品質で提供されている。また [→続きを読む]

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この洋々のブログコーナーにおけるメインの読者層は高校生だと思うが、みなさんは日記を書いているだろうか。もちろんブログなどでもよい。 情報を自分の中に取り込むことと同じくらい、吐き出すことは重要である。だいたい同じ時間に起きて、同じ授業を受けて、同じ部活動を行なってから、同じテレビ番組を見て同じような時間に寝る、という仲間が高校生の頃は少なからずいるものだが、それでも「個人差」というものはもちろんある。同じニュース・トピックについて「どう感じるか」をエッセイとして書き綴ってみても、内容は違ってくる [→続きを読む]

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ある人が、「大学は統計を学ぶところだから、大学を出たと言われても統計を学んだことがないのでは、信用出来ない」と言ったのを聞いたことがあり、なぜか印象に残っている。もちろん、大学は統計だけを学ぶ所ではない、と僕は思っているし、大抵の人はこの言明には異を唱えるであろうが、統計学は現実社会の分析手法として極めて有用な学問であり、現代における「諸学の女王」の位置を形而上学から奪い取ったものであるとも考えている。 マーケティングや経済モデル、といったそのものズバリのジャンルでなくとも、職務として一つの案件 [→続きを読む]

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前回、前々回に引き続き、「重要な情報をなくす」ということについて。 個人名や住所、性別、生年月日などのデータは、かつては保持すべき「個人情報の基本4情報」として、コピー、拡散可能なインターネットに公開することは避けられてきたが、言うまでもなく今の時代、SNSが隆盛している今は、そんな情報はちょっと調べれば手に入るものだ。珍しくもなんともない。従来の観念で考えれば、これは「赤信号をみんなで渡ろう」という無謀な行為にも思えるが、ここで考えたいのは、そもそも「なぜ個人情報をネットワークに置いてはいけな [→続きを読む]

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以前、「セキュリティなどというものは初めから存在しないと思って、重要なデータはネットワークに繋ぐな。むしろ、全ての情報を共有してもいいと思え」などといったことを書いたが、その続き。 今のようにクラウド型のWebサービスが普及する以前は、データの共有といえば、物理媒体の移動だった。メールでファイルサイズの大きなものをやりとりすることは洗練されていないやり方とされていて、ファイルのやりとりにはUSBメモリやらCD/SDなどといった規格を用いて物理媒体を交換していた。実際のところ、「ネットワークに繋が [→続きを読む]