第38回:ビッグマック指数

未分類

「ビッグマック指数」という言葉がある。経済学で扱われる指標で、
「その国におけるビッグマックの値段」を基本レートにすることで、経済力や購買力、通貨価値を計ることが出来るという理屈だ。なぜ、オリーブオイルでもベアリングでもパピルス紙でもなくビッグマックなのかというところには、マクドナルドの持つ世界的な事業展開の力がある。ビッグマックは、その複雑な商品の内部構成(バンズにビーフパティ、レタスにトマトにピクルス、チーズは入っていただろうか?)にもかかわらず、ほとんどの国で同一の品質で提供されている。
また、マクドナルドがターゲットとする価格帯もまた国家間によって変化するものではなく、それは充分に誤差として吸収できる範囲内であるとされる。
だが、人件費や土地代、原材料費はすべてその国で調達するルートを確立しなければならない。だから、すべての国で同じ値段で売ることはできない。

だから、たとえ1スイス・フランが320円だったとしても、日本と同じように1フランでビッグマックが買えるわけではない。ビッグマック指数は為替レートとは違う答えを導き出す。そこの”違い”を計れるのがビッグマック指数というわけだ。

この指数が示すのは、経済学的データであるとともに、現代においてビッグマックが「世界商品」であるということだ。かつてこのようなチャートを提供してきた世界商品は、茶、コーヒー、銀、コショウ、ジャガイモ、羊毛などなど……と歴史を重ねるごとに変化してきた。これらの世界商品が活躍した全ての時代において「通貨」は存在したが、その実体と価値はまちまちだった。銀貨であることもあったし、通貨は金と交換することが出来ることもあった。「金(銀)は銀行に預けましょう。これが引換券です」というチケットを通貨と呼んでいたのが銀行のはじまりだ。

かつてアメリカがアメリカではなく、「新大陸」以前の大航海時代には、コショウと金が1:1のレートで交換されていたこともある。これは、その当時の人間がコショウの価値を重く見積もり過ぎたというわけではない。コショウが「世界商品」であったということで、実体経済が「金本位制」ではなかったということだ。
コショウは長旅で腐った食材の味を良くしてくれたし、食材の長期保存のためにチケットよりずっと役立った。コショウがあれば奴隷だって買えた。
つまり、通貨は金と兌換可能な価値としてではなく、その時代の「世界商品」の価値と比べることによって相対的な価値が見出されうる、という側面があるということだ。そしてそれが今は「ビッグマック」であり、ビッグマックによってあるいは通貨の価値は決定できるという考え方があるということだ。

もちろん、いつだって金やチケットはゴミ扱いされる可能性があるが、にもかかわらず我々は、定期収入でビッグマックを冷凍するのではなく銀行に預金したりする。それは、経済を成り立たせている「信用」の力であると言えるだろう。結局、最後にモノを言うのは武力でありビッグマックなんだけれども。

最後に余談だが、最近では「iPod指数」とか「スターバックスのトール・ラテ指数」といった指標もあるそうだ。このままいけば、「モノ本位制」へのパラダイムの回帰が起こるかもしれない。

更新:2013-03-30 慶應義塾大学 環境情報学部 中園 翔