第14回:バカロレアから学ぶ
哲学系
・言語は思考を裏切るか
・不可能を望むことは非合理か
テクノロジー系
・芸術作品を理解せずに愛することはできるか
・私の幸福を法が決定しうるか
・カントのテキストを読んで設問にこたえよ
科学系
・アートはわれわれの現実意識を変えうるか
・ひとつの真実を確立するためにデモンストレーション以外の方法はあるか
・ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』からの抜粋テキストを解説せよ
200年前からフランスで続くバカロレアが今年も始まった。高校卒業と大学入学のための資格取得の試験で、センター試験のように多くの受験者がいる。上記の問題は過去のバカロレアから引用したものだが、見て分かるようにセンター試験のような効率的で合理的な思考を要求している試験でないことは分かる。
フランスという国は自由・平等・民主主義の思想を打ちたて、論理を持ってヨーロッパをまとめ自国の影響力を築こうとする国であるように感じる。ある人はバカロレアとこの国の特性を引き合いに出し、合理化・機能化・効率化を通じて現在の地位を築いた日本は対照的な国であると主張している。たしかに先のようにまとめて比較すればそう見えるし、始めは自分も賛同した。しかし日本という国を少し見つめ直せばそうでもないということが分かる。
現在の日本という国の世界への姿はほんの表層に過ぎないのではないか。我々の表層深くには2000年の歴史が詰まり、その面影はあちこちに今でも色濃く残っている。習慣・作法・禁忌・言葉・芸術・教育などなどあらゆる分野のエッセンスは江戸期に形成されたものがとても多い。僕はこの事実を最近になってようやく認識し始めている。そしてこの事を自らのいる建築という色眼鏡を通して確認し、更なる思想の発展をしてみたいと考えている。
時代は移り変わっている。上記のように戦前の日本はとても「江戸的」であった。しかし戦後になり政の大きな変化にともない国民の生活が変わった。それが資本主義にのっとった合理化・機能化・効率化をすすめる現代日本の姿だ。しかし現在の姿に様々な領域で批判的意見やシフトチェンジのための案などが飛び交っている。これからはまた「江戸的」な方向に我々は向かうのではないかと個人的に考えている。そのためにも過去と現在を照らし合わせ、上手く未来を感じ取る力と知識と情報と仲間が必要なのではないか。
段々と「けんちく」らしい事をし始める日々に多少の充実感を見出しかけている前期半ばの自分でした。
早稲田大学 創造理工学部建築学科 佐藤鴻