第47回:2012 summer ~決意~ part2
机の上にある道具と材料を使ってモノ作りするとき、限界を知る。持ち合わせを組み立てて工夫してもできないものはできない。1年半もの間それを感じながらも、動けなかった。そしてこの夏休みで、知り合い経由でビジネス系のインターンに手を出した。机の上にはないものを取り入れてみた感じがした。
今週で正式に夏休みが終わる。
インターンも終わり、いくつかした旅や遠出、街を包む夏独特の空気、読んだ本や足を運んだイベントを思い返す。何が机の上にあってそうでなかったのか。それは分からなくなった。そもそも考え方自体がナンセンスだったのか。
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そういえば、僕が良く行く渋谷という街は不思議なところだとずっと思っていた。渋谷では楽しいことを探して遊ぼうとすると見つからず、ただブラブラと気ままにいるとなぜか楽しいことがいくつも起きる。だから僕の渋谷のキーワードはいつも「ブラブラ」だった。
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夏休みにひょんな事から訪れた沖縄で、いくつか発見をした。1週間探検して発見したあのことが、この1年半の間モヤモヤとしていた何かを、ピースをたぐり寄せるようにして僕に唐突に気付かせた様な感覚が遺っている。
那覇を中心に久高島や名護や山原まで脚を伸ばし、ひたすらブラブラと過ごしながら海や森や人々と触れ合っていた。渋谷を歩くときのルールと同じだ。ブラブラしていると、自然体なためか何にも固執せず全体に目が配れる。建物を見すぎるとその周りの細やかな環境を見落として「建築」が見えなくなるのと同じだ。
そんな風にブラブラしながら感じた沖縄を、一言で説明するならば「多面的」と僕は言う。沖縄ではどこへ行っても豊かな自然と、温和な人たちと、美しい街に出会う。そんな華やかな観光地の様子が伺える反面、どこか常に裏の顔の気配を感じていた。琉球王国と日本国と米国と。森(山)と海と。ナイチャーとウチナーンチュと。相対するものが同時に存在している違和感がそこにある。No Foreignersと書かれたナイトクラブ、観光客や米兵で込み合う繁華街、ヤンバルのヘリパッド建設反対運動、ナイチャー(本島からの人)のために作られたニュータウン、日本の漁師町には見えない海岸沿いの風景…。
早稲田大学 創造理工学部建築学科 佐藤鴻