第48回:2012 summer ~決意~ part3

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沖縄で感じた違和感は、複雑に絡み合った様々な「顔」の混在が原因だとしばらく思っていた。でもそれは僕の住む街にだって言えることだとすぐに気付いた。でもなんだったんだろうか、あのワクワクは。新しい顔やそれが存在している状況に目の前で出会う衝撃は計り知れなかった。どこへ行っても一つ一つの事柄が繋がった。
「こういう緯度経度ではこういう気候や土地が産まれて、そこではこういう人の気質があるからこういう街が出来てて、そこでこういう食べ物とか歌が産まれて、それが観光地として成り立つのは、それがアメリカ領土になったのは…。」
これが文化に触れるということだ。沖縄は日本ではない。あの国が持っているものは日本に属さない。だから全てが新しくて、ヨーロッパに旅行したときと同じような強い刺激と脳の活発な活動が得られる。これこそ文化の違いに身を置く価値であり、先で記した「活動の10年」の可能性はここにこそあると直感で強く感じた。

自分の行動と欲求には常に目的を持っていろ、と良く言われる。それが「グローバルリーダー」とか「成功者」になるため必需である、と。僕もかなり長い間それを信じてきたし、多くの場合それは本当だったと思う。自分のプラスになったし、そのおかげで多くの人とも交流が出来た。しかしこの夏きづいたのは、それはあくまで「当たり前」だったということ。出来ない方がおかしいよ、早くそのバカを治しなさいよ、そういうメッセージとしての言霊だったのではないか。これが出来るようになったら、その先の次元がある。

「活動の10年」を生きるため、僕はアメリカに行く。友人も多いし、高校も行っていたので国の事情も良く知っている。それに何よりアメリカの文化や精神性が好きだから、その中心のニューヨークが良いだろう。ビザ取得にしばらくは苦労しそうだが、なんとかできるはずだ。多くの人には資格取得や実務経験で実績をあげてからにしろ、と意見される。でもそれは食って行くための現実主義だ。生き易さは求めない。それはこの10年の命題じゃない。長くも短い、しかし短くも長い人生だ。死ななければそれでいいのではないだろうか。

更新:2012-09-26
早稲田大学 創造理工学部建築学科 佐藤鴻