第5回:春の香りに

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3月末に高校を卒業し、長かった「義務」教育を終えた。4月に入り震災の影響で遅れが出るところもありながら、周囲では次々と友人が大学生になっていく。まだまだ寒い北風が時折吹く中、先週から咲き始めた桜が今とても綺麗だ。大きな公園ではお花見が開かれ、いま世界でリビアの戦争と並べて論議され、自国における歴史的大事件の最中とは思えないのどかさが、春の香りに欺かれ一面を立ちこめる。

早稲田への入学が一ヶ月延期になった事について言及をするならば、良くも悪くもあると言える。一ヶ月という期間は怠け癖のある自分にとってあまりよろしくない結果だ。早く入学して早く勉強を押し付けられたい。そんなある種、事務的作業に逃げたい気持ちで今はいっぱいだ。五月病とは言わなくとも、確かに今「生きる事」がまた不明瞭で、非常に揺らいだ存在になってきた。建築という分野との葛藤、自分の生きる道や目の前のやるべき事を掴むための奔走、人間との新たな関わり方、家族・友人・師の定義、時代の大波による酔い・・・・ 受験直後、目前の道はそれなりに明瞭だと思っていた自分にとって、この数ヶ月で身近で起きた出来事とそれに平行した自身の変化には正直困惑せざるを得なかった。いや、まだまだ現在進行形だ。そんな「事務的作業」と先で呼んだものを自分に求めさせる、何かしらの強迫観念と焦燥感が、春の香りに紛れて一面を立ちこめる。

春。人をもてあそぶようにさらりと通り過ぎるこの季節感。果たして外国には存在するのだろうか・・・そもそも年末年始くらいしか世界共通のものはないこの地球で(多少の例外を除いて)、人種も宗教も歴史も芸術も、自然も行為も、どれとして同じものなど無いのかもしれない。そこに何かを見出そうとすること自体が、ちっぽけな人間の出過ぎた見解なのかもしれない。母なる大地球を目の前に何もすることのできない小さな人類という構図。それを脳裏と深層心理深くにまで植えつけられた3.11が、愚鈍にも意識上からは消えかけている。そんな不穏な空気が、春の香りに惑わされ一面を立ちこめる。

早稲田大学 創造理工学部建築学科 佐藤鴻