第11回:Brave for Decision
アメリカの教育が今あらゆる問題に直面している。そのひとつに「リベラルな学び」とのあり方がある。「リベラルな学び」とは物事を多角的に見るために「教養」として多くの分野の存在を認めることと言い換えられる。しかし広い教養教育の過程で生まれる子どもへの精神的ダメージが近年問題となっているのだ。目的の不可視な状態が続くことなどがその原因としてある。
ここに横たわる本質的問題は、情報社会である近代~現代に生きる人間誰しもが抱えてきたものだ。それは「自由」との付き合い方である。自らの進む道の決定の際に自由にそれが選ぶことの出来る環境が整っている状態では、なかなか物事を選択する勇気がない。一本道を歩くよりも道が多くあるときのほうが決定するのは難しい。自分の選んだものと他のものの良し悪しを比べてみたりして、自らの決定に常に不安を抱く傾向にある。道を一本決定してそこをひたすら走り続ける事はその人に自信を与える。どこへ行こうと自らがいつかは帰って来れる場所があるという状況は、その人に生きる中で物事へ対する原動力や行動力や継続力を与える。
そのためには何を自らの道としても良いだろう。スポーツは多くの人に愛された道であし、趣味や習慣も継続力によってはそれになりうる。人は年を重ねるごとに想像をふくらませ、何か本質的で原初的なものをなぜだ代わりに忘れてしまう。自分自信にもそんな兆候が視える最近はとても悩ましい。これまで多くのものに手を出してきた自分には主軸と自信を持って言い張れる肩書きが無い。趣味や特技や所属といったプロフィールに載せる類のものだ。出会うもの全てを受け入れる事は、物理的にも時間的にも性質的にも難しいことがわかってきた。
そんな自分に朗報と思われるのが建築学科への入学だ。建築という道にのめり込まざるを得ない環境下では否応なくこれが中心に事が回る。斜に構えず、建築道を進む覚悟を決めていこうとおもう。
早稲田大学 創造理工学部建築学科 佐藤鴻