第22回:ウィーンに行って(3/3)
急に思い出した事だが、小さい頃に「ドナドナ」という歌を歌ったのを覚えている。世界の多くの国で歌われているイディッシュ(中東欧ユダヤ文化)の歌で、牧場から市場へ売られていくかわいそうな子牛が描かれたものだ。何がウィーンと関係あるかというと、ドナウ川というヨーロッパを東西に横切る大河に発音が似ていることから思い出した。そしてこの川はウィーンの成り立ちに大きく関係している。ウィーンはドナウ川に沿ってヨーロッパを東西に横切る道とバルト海とイタリアを結ぶ南北の道の交差するところに生まれた町であり、そこはゲルマン系、スラヴ系、マジャール系、ラテン系それぞれの居住域の接点にあたる。歴史的にみても、紀元前5世紀以降ケルト人の居住する小村であったところにローマ帝国の北の拠点が建設されたのが起源であった。オスマン帝国の隆盛時にはヨーロッパからみてアジアへの入り口にもあたっており、伝統的にも多彩な民族性を集約する都市として栄えた。そんな歴史のロマンを感じつつ悠久のドナウ川の流れに心奪われてウィーンで音楽を楽しむ、という贅沢なコースを目に浮かべると今すぐにでも空港へ飛んでいき行きたくなる。
旅をするときにはやはり五感を最上級に研ぎ澄ませるべきだ。異国の地に行く場合には特にそうだろう。目でモノを見るばかりでなく、やはり音や味や香りも楽しみたい。ウィーンはその中でも音に特化した旅先だろう。「銅像を数えたらウィーンの人口は倍になる」といわれるほどウィーンの市内には銅像がある。ドイツより格段に多いあたりオーストリア人の見栄っ張りが窺えるような気もするが、なかでも音楽家の銅像は市立公園に集中している。ベートーヴェンやシューベルト、シュトラウスにブルックナーなど大作曲家や有名教会音楽作家、指揮者の姿が見えるこの公園には他にもウィーンの画家・建築家やもと市長の像などもあり、夜中に通ったら気味悪い光景が頭に浮かぶ。おおよそドイツ音楽の大作曲家はほとんど全員がウィーンと関わっていたと言ってもいいくらい名実ともにウィーンは音楽の都といえるだろう。ハプスブルク帝国領下にあったイタリアも因縁浅からぬ国なため、イタリアオペラ作家にとってもウィーンは都だったそうだ。ドニゼッティはここの音楽監督を務めているし、プッチーニはオペレッタを委嘱されている。音楽家の銅像もきっと街中に多くあるのだろう。ちなみにモーツァルト像は中央墓地にあるそうだ。これらの数々の銅像の話は2009年にベルサイユ宮殿で開かれた「ヴェイヤン」というエキシビションでの安東忠雄の美しい銅像を思い出させる。
フリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサーを導入にウィーンという都市のもつエッセンスをかい摘んで取り上げた今回の記事を通して、ますますこの地に行くことを想像するようになった。地図を購入し、調べた土地の特徴やオブジェや美術館、コンサートホールの場所をマークして、グーグルストリートビューを使って細かな光の当たり方や人通り、街の様子などを覗き見たりもした。なぜか既に地元のような変な親近感を覚えているこの街を見に、まだまだ時間のある今夏にウィーンに行ってみることを考えている。
(おわり)
早稲田大学 創造理工学部建築学科 佐藤鴻