第21回:ウィーンに行って(2/3)

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  1938年、ドイツがオーストリアを併合。ヒトラー率いるナチスドイツ軍の支配が始まった。そんな時代背景はフンデルトヴァッサーに様々な思想を芽生えさせたに違いない。ユダヤ系であった家族は弾圧を受け、暗い生活を強いられた。そこで彼にとって第三の皮膚であった自宅は隠れ蓑として重要な役割を果たしたことだろう。そして戦争が終わりウィーンでは建設ラッシュが起きる。あちこちでバウハウス建築の直線と均一性を主軸とした建物が建てられ、世界の流れに飲み込まれ絶対的合理主義へと都市は向かう。オーストリア=ハンガリー帝国の首都としてドイツを除く中東欧の大部分に君臨し、さらに19世紀後半まではドイツ連邦や神聖ローマ帝国を通じてはドイツ民族全体の帝都でもあったというウィーン。「音楽の都市」とも呼ばれるこの美しき古都はこの頃から次第に近代化が進んだようだ。しかしフンデルトヴァッサー少年が好んだ押し花の宝庫である森は今でもウィーン市西部に面影を残しウィーンの森として知られる森林地帯になっている。散策路が縦横無尽に走っており、市民の憩いの場になっている。現在でも先のような森など多くの自然がウィーンに保存されていることは、フンデルトヴァッサーの思想を大きく反映していることからかもしれない。彼が唱えたように自然と調和してロマンチシズム、個性、生命の創造力を取り戻す意味を見出そうとしているように見て取れる。

“ The new values are a higher quality rather than a higher standard of living, yearning for romanticism, individuality, creativity, especially creativity and a life in harmony with nature. ・・・We must build houses where nature is above us. It is our duty to put nature, which we destroy by building the house, back on the roof. ・・・We must restore all territories, which we illegally took from nature. Free nature must grow where snow falls in winter. All that is white in winter must be green in summer.”
―Friedensreich Hundertwasser
(つづく)

更新:2011-08-18
早稲田大学 創造理工学部建築学科 佐藤鴻