第20回:ウィーンに行って(1/3)

未分類

  ウィーンとはいったいどんな場所なのだろう。オーストリアとはいったいどんな国なのだろう。フリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサーという芸術家、画家、そして建築家であるこの人物によって僕はこの世界に吸い込まれた。1928年-2000年に生きたこの人物は、ヒトには3つの皮があると定義してアーティト活動を続けた。皮膚、衣服、そしてその次に来る「第三の皮膚」として建築にも目をむけて自然と人間関係に密接にかかわる建築を追求した。そんな彼とその作品を追いながら、彼の生まれ育ったオーストリアの首都ウィーンにせまっていきたと思い立った。

”Man has three skins. His own, his clothes and his dwelling. All these three skins must renew themselves, continually grow and change. We must build houses where nature is above us. It is our duty to put nature, which we destroy by building the house, back on the roof.”          ―Friedensreich Hundertwasser

  フンデルトヴァッサーを初めて知ったのは、自分と同じ誕生日の人物を調べたときにたまたま開いたウェブページで見たときだ。その時はあご髭が印象的で変な名前の建築家という程度にしか覚えていなかった。しかし数年後のつい先日、村野藤吾氏の最期の名作「谷村美術館」を調べていたときこの変わった名のユダヤ系オーストリア人は再び私の前に現れた。私がある人に谷村美術館について話を聞いていた時のこと、これは「ベルリン・ユダヤ博物館(ダニエル・リベスキンド)」と「クンスト・ハウス: フンデルトヴァッサーの建築」に似ていると彼は呟いた。その特徴的な名前にどこか親近感を憶え、すぐにその美術館のホームページを開いた。するとそこには見覚えのある顔のおじいさんと数々の摩訶不思議な絵画やグラフィックス、タペストリー、建築が紹介されていた。それらの作品は正直理解できるようなものはひとつもなかった。どれも生物の授業中に顕微鏡で覗いた植物の細胞か何かにしか見えない。しかもドイツ語で書かれたそのサイトから読み取れる情報は皆無というお手上げ状態。しかし、そんな小さな事は見えなくなるほど、そこに並べられた作品たちはなんとも美しかった。独自に調合したと分かるその色彩たちは見事で、自らでつくった最適な作品のサイズは日本の浮世絵にオーバーラップしてくる。
(つづく)

更新:2011-08-09
早稲田大学 創造理工学部建築学科 佐藤鴻