第32回:うそっぱち先天性

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3月11日。
僕たちは「ままならさ」を目前に提示される。ニュースや実体験を通して、自然とは封じ込めることのできる相手ではなく、その神のごとき振る舞いにいかにへりくだれるかということを再認識した。堤防を高く厚くし、そのままならさと対決するべきではない。生き方の再選択が迫られた。

先日NHKのドキュメンタリー番組で、宮城県の小さな集落の復興奮闘記が紹介された。沿岸部に住む彼らは生活の場から仕事道具である漁船と港、そして都心部と繋がる交通機関も断たれた。それは「人間であること」自体に揺さぶりをかけられた凄まじい災害だった。人間らしさを保つための三項目「衣・食・住」が壊滅的となったからだ。家は津波で流され、食料はあちこちに落ちたものを拾ってまかなう程度になり、火がおこせないことから風呂や炊事や暖をとることがほとんどできなくなった。彼らがその時味わった人間としてのプライドの崩壊や「無」への恐怖、そしてただただ時間の経過によって迫りくる見えない「未来」への恐怖は、東京の僕には想像では片鱗さえ掴むことができない。

僕がなぜこの話を書いたか。それは冒頭の「生き方の選択」というはなしに関連している。
この集落の人々は災害からなんとか最悪の時を脱出し、今は海と山に分かれて二大プロジェクトを立ち上げて奮闘している。全国からのサポートもあり道路の復旧や港の開港にまでこじつけているそうだ。災害直後には集落の長が「何をしていいか、わからない」と呆然と語ったように状況は絶望的だった。それが「貧乏になるときも、富豪になるときも、集落の皆がいっしょ」という昔から伝わるスローガンのもと、皆で力と知恵と精神力をもって徐々に立ち直っていく姿があった。その純粋でたくましく、一心な姿は僕に多くを教えた。

人間の生き方はいかようにでもなる。
「先天的」という言葉があるが、大嫌いな言葉だ。人間の可能性に対する侮辱とさえ言える絶対的に否定的な言葉だ。どんな状況をも無言で堪えて受け入れる(torelated- 黙許・堪忍)ということだからだ。

『知能に対する人間のマインドセットは2種類。ひとつは「自分の知能レベルはこのくらいであり、ほとんど変えることはできない」という固定的な姿勢(fixed mindset)。もうひとつは「必要な時間とエネルギーさえ費やせば、ほぼどんな能力も伸ばすことができる」という成長志向の姿勢(growth mindset)。固定的な姿勢をもつ人は、間違いを「ぶざまな失敗」とみなし、与えられた課題に対して自分に十分な能力がない証拠だと考える。一方、成長志向の姿勢をもつ人は、間違いを、知識を得るために必要な前段階、学びの原動力ととらえる。』
スタンフォード大学心理学者 キャロル・ドゥエック

人間の信念の力を証明しようとするドゥエックのこの研究内容と、今回の被災地の集落の人々の姿が重なった。人間の信念は、その人がどんなことを望み、そしてその望みが叶うかどうかに大きく影響する。繰り返しになるが、人間の生き方はいかようにでもなる。それがどうなるかは、結局のところ全て自分次第だ。先天的なものなど、本当の意味で、この世にはひとつも存在しないのではないかと、今一度声を大にして言いたい。

更新:2011-11-19
早稲田大学 創造理工学部建築学科 佐藤鴻