第39回:真実を乞う

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今年で二十歳。これは小人が大人へと変化する年とされ、僕個人もそれを日々意識するようになってきたようだ。

大人とは「現実」で生きる人。親や学校や地域に守られること無く、開けた世界に晒される人。それは「現実」だ。テレビや新聞や学校や本で得る情報は「現実」という氷山のほんの表層である。偽りではないにしろ、それは各方面から情報制御を受けて取捨選択された「現実」なはずである。しかしそんな「現実」の疑似体験をする小人という立場に、僕は少なからず限界を感じる。小人ながらにあらゆる表層の情報を得ていく中、その下にある大きなものの存在を感じている。そしてそれは無視することの出来ない域まで来ている。しかしその存在を感じながらも、そこへアクセスしうる手だてが分からずにいるこの状況は歯がゆく、悔しい。そこに手が届けば広い範囲で現実社会のルールやシステムが体系的かつより実践的に理解出来るはずだ。そうなれば癒着やコネなどによるものは薄まり、社会がより実力主義に傾くだろう。

大人たちは小人の「現実」への一歩を止めるべく(善意なのかもしれないが)、タブーを包み隠しているようだ。しかしそれは善意だとしても明らかに悪い状況を作り出している。皆が何かに怯えるように本音や真実から一歩引き、小人のダイナミックな成長を止めているのではないかと教育者(親、学校、各種メディア等)に問いたい。教える側は覚悟を持って、小人に対等に情報提供をすることが正しい教育なのではないのか…。損得勘定を捨て、本当の自分に従い、教える覚悟をもってして、小人に「生きること」を叩き込む。そんな大人のいる世界を望む一心だ。

更新:2012-03-17
早稲田大学 創造理工学部建築学科 佐藤鴻