第46回:2012 summer ~決意~ part1

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ヒップホップでは言いたい事を言いたいだけ言う。そこにたまらなく惹かれる。いわゆるコモンセンスの無い人たち(ラッパーに限らず)が成功して発言力を得ると、普通のメディアでは聞けない様なことが聞ける。それは社会では言ってはいけないタブー化されたものも多い。でも僕はそこに惹かれる。「ホントはみんなそう思ってるんでしょ?ホントはこうしたいのに抑えてるんでしょ?」そう言いたくなる。

高校生のころ毎週のように、講演会や座談会やパネルディスカッションやといった類いに手当たり次第顔を出した。あれは僕に取ってヒップホップだった。公では言いにくいことを大人たちが白熱して語り合っている。フリースタイルしていたのだ。「現実ってそんな甘くない、現実ってこんなクソだ、現実ってこんなに素晴らしい。」だから僕は皆が右だと言えば左を向いて来た。右が公の意見ならそれは違う、ホントはこっちだ、という具合にそのデタラメを信じてきた。

無の10年
成長の10年
活動の10年
親離れの10年

産まれてから40歳まで。僕はこうして生きたい。長くも短い人生を分割するならば、10年という単位によって区切るべきだ。生まれてから10歳(小学校半ば)までは猿。猿からヒトになる次の10年。人目もくれず苦労を買うように活動する今後10年。そして親の死を見逃さないよう生き、死後には親離れをバネにする10年。その先は未知。親がピンピンしているこの10年は人目もくれずに動く。この期間はどんな無茶も通用するだろう。何をしても構わない、捨てるものは何もない、そういう気概で攻めていける。

建築をやっていて最近思うのは、このままでは「活動の10年」を200%生き抜き切れないということ。建築の関連で絵を描いたり、オブジェを作ったり、実際に設計もしたりするようにもなって来た。こういう「0から1」の作業、クリエイティブな作業は結局、自分の意志で集めた情報を自分の手で組み立て、自分の土俵に築くものだ。端的に言えば、持ち合わせのものでしかモノを作れないのだ。僕はこれが問題だとは思わない。何事もそうだから。しかし危険なのは、このことに気付かずに「クリエイティブ」な作業をすることだろうと思う。

更新:2012-09-26
早稲田大学 創造理工学部建築学科 佐藤鴻