第3回:小野塚知二(東京大学経済学部教授)インタビュー

 新しい大学選択2回目、は東京大学経済学部の小野塚教授へインタビューしました。

 ゼミのHP

 個人研究を重視され、学生からの評判も高い小野塚先生の大学教育論を是非お聞きしたいと思い、今回の記事のインタビューワーに選ばせていただきました。

 大学で勉強した内容はほとんど忘れている、

 大学で勉強した意味はあまりなかった、

 それでは何故大学へ行くのか??これらを考えていきたいと思います。

 小野塚知二 東京大学経済学部教授 

小塚知二53

 ・小野塚先生のゼミについて教えてください。
 テーマは年によって違うのですが、現代の経済政策思想というテーマを昨年度から引き続き、今年度も行っています。具体的にはこのテーマについて色々な文献を皆で読むということを4月から11月の半ばまでやっています。また、各自関心のあるテーマで個人研究もやっていただいているので、11月の半ば以降はその成果の中間報告となります。9月に合宿をやるのですが、個人研究の中間報告はその時も行っています。3年次の末には小論文を書いて、4年の卒業時には、一回か二回、卒業論文の提出前に最後の報告を行ってもらっています。ゼミは3年生から入るので、5回ほどは個人研究の発表する機会があります。

 ・ゼミを変える人はいますか?
 時々いますが少ないです。3年生の時は入っていなかったけれども、4年生の時は入るという人、逆に4年生になるとやめる人、あと複数のゼミに入っている人もいます。

 ・個人研究でどういったテーマが取り上げられていますか?
 私のところは経済史、社会史が専門なので、関連するテーマを選んでくださいとは言っていますが、そこまで強く縛っていませんので、色々なテーマがあります。今年の卒業論文のテーマで言うと、戦後の日本の農業政策と食糧自給問題、日本の余暇概念が前近代以来の歴史の中でどういったものなのか、第一次世界大戦後にでてきたイギリスのギルド社会主義、アメリカの19世紀末から20世紀にかけての労働者の組織化における企業の側の組織化と労働者の側の組織化などを研究している人もいます。他にも、戦後日本の鉄道貨物の衰退原因、M&Aの効果測定、差別価格制度の効果について、日本の少子化問題の歴史的研究、現在の金融危機と80年前の金融危機の比較研究、今までの卒業生も含めると限りないほどあって、19世紀イギリス民衆教育史、原子力開発の歴史や、タイのスラム問題、入場券を払うと誰でもいける近代的な演奏会の社会史などがあります。人文社会科学の領域で研究できることだったら何でもいいといっているのですが、概して歴史的な研究が多いですね。 大学院へ進学してそのまま研究する人もいますし、企業に入った後自分が研究したことをふまえて転職を何度か繰り返し、最終的に目指す職業につけた人もいます。大学ではもちろん高校と同じように講義の科目もあって、テストがあるだろうけれども、そういったものは卒業後ほとんど身についていないんです。卒業した後自分が大学で何やったか覚えているのは、個人研究、卒業研究でやったことなんですよ。個人研究でやったことに関連する講義の知識ならば、身についているのですが、他のことは普通身についていません。どちらかというと先生の無駄話の方が多かったりもする(笑)個人研究は自分で一から組み立て苦労してやるので、これは忘れません。そういうのは卒業後役に立てている人もいますね。

 ・小野塚先生がゼミを運営される時に大切にされていることを教えてください。
 3つほどあります。学生の知的関心をいかに刺激するか、引き上げるか、皆さんやはり関心をもっている方だから、うまく引き上げる必要があります。2番目はものの調べ方ですとか、論理的に複数のものを結びつける力、それを最終的に文章で表現するなどの研究の基礎的な力です。3番目は比較的気をつけなければいけないなと思っていることで、常識を疑うこと。我々の周りには色々な常識がありますが、そういった常識をとりあえず疑ってみることです。間違っていないか、おかしなところがないか、常識に縛られていると不自由ではないか、そういった疑う作業がないと自分も新しくなりませんし、世の中も変わらない。常識っていうのは知っていた方が楽なんです。常識がないと世の中はうまくまわらないし、常識がなくていいとは私は思わないのですが、常識さえ身につければそれでパーフェクトかというとそんなことはなくて、常識を身につけた上で、常識を疑う、おかしなところを指摘する勇気がないといけません。

小塚知二64

 ・大学におけるゼミナールの意義やあるべき姿を教えてください。
 先ほども言ったとおり、大学でやったことで身につくのはゼミでやったこと、個人研究でやったことなので、ゼミはそれを手助けすることが1番の意義であると思います。2番目に、同じ分野に関心をもっている人が討論をすることで、1人でやるよりも深い知恵に到達する、議論するともっと深いことが分かるという経験を積んでもらいたい、これも意義であると思います。ゼミのあるべき姿ですが、それは学問分野やその時々そこに集まっている学生、先生方の個性にもよると思うので、一概にあるべき姿はないのではないでしょうか。ただ、そうではないかな、と感じるのは、ゼミは学生がするものだということです。教師はそこにいるだろうけれども教師が全部しゃべって終わったら講義と変わらない気がします。ゼミの語源はもともと「種を蒔く」なんです。ゼミというのは一つの畑みたいなもので、皆はそこに種を蒔く。育った作物は皆で食べる、1人でやると1種類しか食べられないけれども、皆でやれば色々なものが食べられる。ヨーロッパの中世の大学、セミナリオでやっていたのはそういったことですし。それらは今でも大切なことで、そのためには学生が主体であるべきだと思います。もちろん誰か経験のある人が脇で見ていて、間違っていたら正してあげることは必要ですが、本来は教師が何かするのではなくて、学生自身がやるべきでしょう。

 ・小野塚先生のゼミが求めている学生、受験生はどういった方ですか?
 どんな方でもいいんです。どんな人でも来ていただければ、面白い研究ができると思っています。ただ、結果から言うと、私のゼミは「自分は大学に入って初めて落ちこぼれた」とう人が3割くらいはいるのかなと思います。でもそういった人もゼミでしっかり勉強するとすごく伸びて、自信もって成長する。おそらく入学まではよくできた人なのだろうけれども、何かしらでつまずいた人、そういった人に自分の研究をやって自信つけて卒業してもらいたいと思います。東大の中でも優等生タイプの人もいるのですが、ゼミで議論してみると優等生がいつもリードするわけではなく、皆がもっている隠された能力を発揮してくれます。

 ・小野塚先生(東京大学経済学部卒業)はどういった大学生活を送られてこられましたか?
 私は勉強せず、講義にも出ていませんでした。出ていなかったけれども単位はしっかりとって、空いた時間は仲間と議論したり、本を読んだりしていました。所謂落ちこぼれた方の学生だったのかもしれません。ただ、学生さんに「講義なんて出なくてもいいし、単位とれるんだよ」なんていうと、本当に講義に出なくなり、単位さえも落としてしまうんです。私は大丈夫でしたが、講義は出た方が単位取りやすいですよね。そういうわけで学生さんには出なさいと言っているのですが、私自身は必ずしも真面目な学生ではありませんでした。

 ・小野塚先生が研究者になろうと思ったきっかけを教えてください。
 私は根本的に勉強が嫌いで、嫌いなものを嫌いなまま放置するのが我慢できませんでした。苦手なものがあるのはあたりまえで、向き不向きあるのですが、ただ嫌いなものが世の中に存在しているっていうのは許せなくて、好きになるまで何かしなきゃいけないとちょっと研究してみたらすごく面白くて。それでもう少し続けてやってみるかということになりました。そうはいっても大学院入った後も勉強は嫌いで、現在もそうです(笑)でも好きになると「もういいか」とやめてしまうかもしれないので、嫌いなままで、逆に面白いことを次から次に見つけていくから続けられているのだと思います。歴史研究の分野をやっているのは、人類の来し方行く末をちゃんと見て未来を知ってみたい、今と将来に関心があるのが普通なのですが、それを見るためには過去をしっかり知らなければいけない、そういった理由からです。

 ・日本の教育に関して、良い点、改善した方が良い点、そもそも「良い教育」とはどういったものだと思われますか?
 日本の教育の良い点は誰でもそこそこの教育は受けることができる、簡単に言えば公教育の仕組みができているということ。ただ、それは最近崩れてきている可能性があって、例えばここ東京大学も国立大学といえども独立法人で、学費も私立大学とあまり変わらないかもしれない、それどころか学費免除や給費制度などが私立の方が発達していると思います。そう考えると、現在では金がなくてもいける学校が本当に少なくなっています。昔はいっぱいありました。改善した方がいい点は、教師の権威がここまで低下してしまっている状態です。ただ、権威というのは上からふりかざすのではなく、下から感じるもので、とりあえずあの先生の言うことだから信じてみようと、生徒や生徒の親が先生に対して思うこと、これが権威です。でも今はどちらかというと教師は人間の屑だから、変なこと言わないか絶えず監視しよう、何かしたら教育委員会に訴えようという風潮になっています。これだと先生も自信をもって教えられずよくないと思います。教育の本質というのはどういう場でも教師の権威がまずあると思っていて、それは学校教育だけではなく、家庭や地域でなされるものも同様です。もちろん権威だけだと言いなりに信ずるばかりになるので、その権威を疑い、脱構築していく作業も必要であると思いますが、やっぱりあの先生の言うことはすごいぜって思う気持ちは大切です。あの教師は駄目だと思ったら、講義に来ないでしょうし、そうしたら大学も成り立ちません。

 ・回復するためにどうしたらよいと思われますか?
 単純な解決策は実はないんです。師を敬って権威を感ずるというのは生態系に似ていて、一度壊れてしまうと回復するのがすごく難しいのです。教師の力量と、生徒側の教師への気持ちの両方から考えないといけないと思うのですが、今どうすればいいのか単純な処方箋は分かりません。

 ・良い大学教育とはどういったものだと思われますか?
 これも繰り返しになりますが、どの学問分野にも常識があって、大学生が卒業するまでにできなければいけないのは、その常識を一旦は身につけた上で、疑うということ。大学を出た人はそれができなければいけないと思います。

 ・理想的な大学入試の在り方とはどういったものだと思われますか?
 基礎的な学力、思考力、判断力、それと知識の量と質、そういったものがあると判断できたらなるべくたくさん入れることができたらそれが理想だと思います。18歳や19歳のようなところであまり細かい選別を行ったところで意味はなく、誰もがいくらでも伸びます。選別に手間暇かけても大学は得るところがないと思います。けれども、それをだけだと大学が人で溢れかえるので、選別は必要なのかもしれません。そうするとどこの大学も1年生は人数が多くて、学年が上がるにつれて選別されて人数は減ることになるでしょう。また、入ってみてここは違うなと思ったら他の所へ移れる、そういった流動性の高い入試と大学や学部を変更できる制度になればと思っています。いまは極端なことを言うと、入れば大して勉強しなくても卒業できちゃう、これは良くないことで、それまで勉強してきた人を大学4年間で錆びつかせて社会へ送り出してはいけません。

 ・学生や社会にとって経済学部は今後どういった姿をしていけばよいと思われますか?
 経済学部は民間企業に入る人が多いので、日本に限らず世界の企業にとってどういった人間が必要なのかというのが重要になってきます。私が知っている限りでは、企業は経済学部の学生に対して即戦力になるような力を求めてはいない、そうではなく、10年後20年後何か新しい事態が起こった時に対応できる知的な体力、基礎的な力を求めていると思います。企業がどういった人を求めているか、それは企業と学生、学生と大学の間に認識のギャップがあると思っていて、学生さんは社会に出てすぐに役に立つことを教えてほしいといいます。でも、例えば大学2年の段階ですぐに役にたつことを教えられたとしても卒業までにその役に立つことは古くなっているんです。そうすると大学ですぐに役に立つことを教えたところで、それは陳腐化していく、先どうなるか分からない中、大学でそれを教えてもナンセンスなんです。子どもの現在の身長にあわせて洋服をつくったとしても、3年後にその子がどういった大きさ、形になっているか分からないですよね。すぐに役に立つことは専門学校で、あるいは会社に入ってから先輩に教えてもらえば十分です。 ただ、今就職活動がすごく早いですよね。3年になったらもう始まってしまう。内定とった人の1割ほどは卒業できないケースもあるので、それはお互いにとって無駄なコストです。学生さんも就職活動が無駄に、企業も多めにとらなければいけない。そうではなく、卒業後に、卒論何を書いたのかも分かっていて、4年間何してきたの?ということをしっかりと見ることができる期間をとるべきだと思います。就職活動で3年生の一年間がつぶれてしまうのは本当にもったいない。卒業した後半年は国から資金援助をもらって、就職活動の期間をつくるといった制度にすればいいと思います。

 ・経済学部に入る受験生は企業へ就職することを希望する人が多いと思うのですが、小野塚先生が思う「こういった人が経済学部に来てほしい」という人はどういった人ですか?
  日本にも色々なNGOやNPOができた、あるいは昔からありますよね。ただそれら利潤を目的にしていない団体って会計が結構いい加減になってしまうことがあって、破綻したり、とんでもないインチキをしていたりします。でも営利目的の企業とは別の役割をもっていてNPOやNGOはなくなっては困ります。だからそういったところへ、会計や財務など、しっかりとした知識をもって経済学部から行ってもらいたいと思っています。そしてもちろん地方公務員や国家公務員になる人も経済学は大切です。NPOやNGOにおける経済学教育、あるいは商学教育、これは意外にまだ穴場で、今後必要になってくると思います。

 ・これから大学という場所はどういった姿をしていけばよいと思われますか?
 大学もそれぞれあって、例えば東京大学と慶應大学が同じ方向を目指していけばよいと思わないのですが、「常識を疑える人間になれ」という私の理念に照らすなら、およそ大学である限りは何らかの意味で知的なエリートを育てるべきだと思います。エリートという言葉は今ではあまり良い意味で使われていないかもしれませんがエリートの本来の意味としてです。学生さんを見ているとちょっと知的ではないな、と感じる部分もあるので。他のことは何やってもらってもいいのですが、大学出た人が知的ではなかったから「あいつ大学で何やってたんだ」ということになるので。もう一つ言うと、今の日本ってあまり知的ではないと思います。以前から見てもその水準は下がっている。例えば、マスコミがあることを流すと皆そっちに流れてしまいます。マスコミに対して批判的な人ももちろんいますが、ものすごく多くの人がマスコミの流すおもしろおかしい話に飛びついてしまう、特に政治のあり方がそれに流されている、マスコミを味方につければうまくいってしまうという部分があると思います。マスコミは商売で、人々が買ってくれるような情報を意識的に流すわけで、そんなのに踊らされてはいけません。一時期ワンフレーズポリティクス、ワンフレーズでもって政治を動かしていこうなんて人がいたのですが、政治というものは単純ではなく、日本国内で色々な利害があって、さらに国外も関係してくる。ワンフレーズでもって動かされてはいけませんよね。でもそれが一時的にでも流行ったということは一時的にでも知的レベルが下がったのだと思います。

 ・これから大学進学を目指す受験生へメッセージをお願いします。
 大学でどうなりたいかという目標を、とりあえず大学4年間でいいので立ててほしいと思います。それはどこかに就職するということではなく、大学にいる間にどうなっていたいかという目標です。そしてそれは一つではなく、夢破れるかもしれないから二つか三つは必要です。今の入試の制度だと、たまたま受かったのがここだからという風になっていて、それだと入ってから何していいのか分からない、なんとなく大学には入れたのだけど落ちこぼれちゃったということになりかねません。結果として入ったのはここだけれども、そこで4年間どうするかという目標はもってもらいたいと思います。入ったとたんにそこがつまらなくなるということは大学や企業でよくあるんです。3年や4年もやれば面白くなるのかもしれませんが、入ったばかりで面白いということはまずない。でも3,4年後の目標をもっていれば話は違います。

 以上です。「卒業した後自分が大学で何やったか覚えているのは、個人研究、卒業研究でやったことなんですよ。個人研究でやったことに関連する講義の知識ならば、身についているのですが、他のことは普通身についていません。どちらかというと先生の無駄話の方が多かったりもする(笑)個人研究は自分で一から組み立て苦労してやるので、これは忘れません。」こう明確に言う、さらに自分自身講義には出ていなかったという小野塚教授がとても印象的でした。 実際大学で勉強したことなど覚えていないんですよね・・・私の通っているSFCは所謂「個人研究」に関連した科目しか履修しなくていいというカリキュラムになっている(それが良いか悪いかは今後のSFC生を見てみなければ分かりませんが)ので、学んだことを覚えている人が多いかもしれませんが、他大学や他学部のどの先輩に聞いても大学で学んだことは覚えていないと言う。ただ、個人研究を通して「常識を疑う」力を身につけること。それが大学で身につけるべきことだと言っておられました。「企業は企業の言うことをよく聞く学生がほしいので大学で変に色づけされてほしくない」と考えている人もいますが、一定の価値観に染まってしまっている企業や組織はいずれ崩れていきます。皆が常に今の価値観を疑い、ただ疑うだけではなく、お互いの価値観を認め、より良いものを目指していく。私もいくつかのコミュニティに属してきた、いますが、今の常識を疑う人が少ないコミュニティほど、人がどんどん離れていき、結局その中には常識にとらわれてしまっている人しかいなくなってしまう。そうなると、終わりです。 大学教育、それは「常識を疑える人間になる」を生み出していくこと。特に、目先の利益を求められない大学が教育において是非とも達成してほしいこと、そしてこれから大学へ向かう受験生が目指してほしいことだと思います。