第358回:誕生日会
どれだけの人が知ってくれているか分からないけれど、あるいはどれだけの人が興味を持ってくれるか分からないけれど、5月の末30日、ゴミ0の日は僕の誕生日である。ちなみに今日は30日、もうすぐ26歳最初の一日が終わる。昨日で僕はちょうど4半世紀生ききったのだ。そう考えると我ながら大したものである。
とは言え、26歳になった感想や抱負などを聞かれても少し困る。26歳から車の保険が安くなるってことは、若干落ち着く、とみなされるということではあるようだが、実際にはどんな風に心境が変化すればいいのか分からない。19歳から20歳になる時なんかは、色々と出来ることが広がったりして、それっぽいことの一つや二つも言えるだろうけど、このタイミングではなかなか難しい。ただ目の前にある、試合や仕事で最高のパフォーマンスを発揮するために、一日一日後悔を残さない努力をしていくだけだ。
記念日やイベントごとをさほど重要視せず「そういえば今日は○○の日だね」というのが藤井家のスタンスである。ある年、自分を含む家族全員が僕の誕生日を忘れていたことがあった。僕がまだ小学生の頃だから記憶が正確かは怪しいけれど、その日僕は家のトイレで用を足しながら、ボーッと壁に掛けてある6月のカレンダーを眺めて5月にどんなことをしたか考えていた。ふと「ん?そういえば、おいらの誕生日はどこいってしまったんだ?」と思い至った。トイレを出て母親に「僕、誕生日だったんですけど」と自己申告したように記憶している。
最近の誕生日事情としては・・・この時期が毎年、全日本実業団団体戦の直前のため、盛大に呑み弾けるような柔道部恒例の誕生日会はしてもらえない。(これを運が良いというのか悪いというのかの議論はさておいて。)だから少なくともここ3年間くらいの誕生日は試合前の緊張の中、普段の一日と特に変わらず静かに大人しく過ごしてきた。
けれど今年は半年前から付き合っている彼女が、いわゆる大人のディナーで行儀よくお祝いしてくれた。スケジュールの都合で、30日ちょうどではなく27日土曜日のディナーだったけど、今まで他人に祝ってもらった中で一番上品、かつ真摯に祝ってもらったように思う。今まで経験したことのないタイプの、僕にとってはなかなかインパクトのある誕生日会で、何だか27日の時点で誕生日が終わってしまったような気がした。幸せなことである。