第570回:早慶戦

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今月の半ば柔道の早慶戦に、慶應のコーチとして呼ばれた。僕らが卒業して、その次の年くらいから講道館で開催していた早慶戦も、今回はコロナ禍を受け、慶應の日吉道場で無観客の開催。選手と、その年卒業してしまう選手のご両親と、監督・コーチのみ道場に入れて、昔からは想像もできないくらい静かな早慶戦だった。それでも今の時代、開催してもらえるだけありがたいことなのだろう。自分が現役の時には、気がつきもしなかった「試合ができる当たり前」に、改めて感謝しなきゃいけないな、なんて思った。

コロナ前までは月に1.2回、自分の運動のために(決して後輩のためではない)慶應の練習に参加させてもらっていたけれど、コロナ禍になってからは余計なリスクを減らすために行かなくなった。こういう時、超濃厚接触のスポーツは厄介だ。だから、今の現役学生の子たちがどういう選手で、どういう実力構図で、早稲田とはどういう戦いになるのか、全く分からない状態でコーチボックスに入った。当然、深いアドバイスを投げることはでない。仕方ないから終始「うんうん、その調子だー、がんばれー」と心の中で思いながら深く頷く係に徹した。結果、僕の頷きが功を奏し、今回は男女ともに早稲田に勝つことができた。

見たところによると、この11〜12月、柔道界で試合が立て込んでいるせいなのか、どうやら早稲田側がフルのメンバーを出してきていない雰囲気があった。20人制の団体戦で、十分な部員がいるのに、エントリーが18人(エントリーの中に怪我人がいて17人になったのかな)だったし、7人の公式戦に出るようなレギュラーメンツをかなり控えとして抱えているようだった。

僕はもとより早慶戦至上主義ではないし、むしろ公式戦で勝つことの方がよほど大事だと考えている選手だった。それでも、長い伝統の中で積み重ねてきた両校のプライド的なものと、それを大切に育ててきた関係各所の気持ちは、十分に大切にするべきものだと思っていた。だから今回、そこまでメンバーを落として、負けありきでこの試合に臨む先方の姿勢には、少なからず違和感を感じた。そのような姿勢では、この非公式戦である早慶戦の存在意義がなくなる気がした。非公式戦ながらお互い真剣にやるから意味があり、それが消化試合になった瞬間に価値はない。もし上のような事情で、この時期に選手を酷使できないのであれば、今年の開催は見送るべきだったのではないかと思う。

何にせよ、慶應側としては、どのような勝ちであっても勝ちは勝ちだ。喜んでいいことだと思う。だた、そんな違和感に心ザワつかされた、僕としてはあまり気持ちのよくない早慶戦だった。