第7回:慶應SFC創設の歴史

慶應義塾大学SFCが創設されるまで

数回にわたりSFCについて紹介していますが、今回は「SFC創設までの歴史」を述べたいと思います。SFC AO入試においては「SFCとのマッチング」も大切な要素なります。

多くの受験生は知らないであろう創設の歴史を知っておくことは、書類や面接を受ける上で大きなプラスとなるでしょう。

 

SFCは何故できたのか? 創設までの歴史

SFCといえば・・・問題発見&問題解決、そして文系、理系とらわれない学部。実際の受験生でもこの程度の知識しか持ち合わせていないということはありませんか?

SFCという学部は何となくできた学部ではありません。ただ単に「学際的である」と捉えるだけでは不十分すぎる創設までの歴史がありました。「未来を創る大学(慶應義塾大学出版会)」や「慶應義塾大学SFCの挑戦(角川書店)」といった本に、SFCが今の体制に至るまでの歴史や理念、その他様々な調査等が詳しく記されているのでSFCを受けるのであれば一読しておいてよいと思います。

ただこれらの本は少し古く、常にSFCは変わりゆく存在であるので“今”のSFCを先輩達に確認しておく必要はあります。ここではSFCの設立から今に至る全てを伝えることはできませんが、ざっくりとお話しようと思います。

 「学問の対象とする領域は、だんだん広がりつつあります。しかもそれだけではなく、学問と学問の間の境界領域の研究も、大変大切になってまいります。しかも、われわれが当面するさまざまな現象と現象の間には、強いリンケージが生まれております。
これからの時代は、問題を多角的に見ることのできる人材を養成する、という考え方に立った教育も、大変大切になりつつあります。」

(「未来を創る大学」より引用)

 

この石川塾長(当時)の言葉によって、SFC創設までの歴史はスタートしました。慶應も含め、当時の大学は個別学部が主であり、ブランド依存・純血主義(その大学出身者のみで教授陣が構成されること)といった体制が普通でした。

今でも多くの大学でその体制が変わっているとはいえません。学部間の壁は厚く、学部自治、既得権益によって時代に即した新しい動きはとりにくい状態であった、また今でもそうであるといえます。石川塾長はこういった大学の中に渦巻く闇の部分を取り払っていく意をこめてSFCを創ったとも言われています。石川塾長は、各学部から「これはと思う、保守的でない人々」が集まった委員会の議論に大枠以外のことをすべて任せ、その委員会の中でSFCの具体像が形成されていきました。

 「自由に構想を練ることが許されていることを知った委員会の討論は、単に新学部設立という以上に従来の学問、研究、教育のあり方や慶應義塾大学の長所・短所を洗い出すという根源的な問題にまで及び、各委員が本音をぶつけあう白熱した議論が展開された。」

(未来を創る大学より)

SFC設立までのドキュメンタリーをおさめたビデオもまた存在するのですが、それによると「白熱」というより「ケンカ」であったといいます。灰皿は投げられ、幾度も「もうやめようか」と言われるような壮絶極まる会議が毎回展開されていたそうです。その後、土地買収や工事等の問題も何とか乗り越え、SFCは設立され、今に至ります。
 


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