第8回:初代総合政策学部長の言葉

SFCの理念を表す初代総合政策学部長の言葉

 
SFCの理念をよく表すものとして、初代総合政策学部長加藤寛さんの二つの言葉があります。一つは「CALAMVS GLADIO FORTIOR」というSFCの一期生に配られた冊子に書かれた言葉、もう一つは加藤寛さんがSFCを離れるときに残した言葉。少し長いですが、これらを引用していきたいと思います。

 

「湘南藤沢の地に新たなる一歩を踏み出した新学部に入学おめでとう。何故、私がおめでとうといったかの意味は、君が卒業し、そして社会で活躍するにつれ、次第にわかってくると思います。私もまだ君と同じ位の若い時、慶應義塾大学に入学しました。湘南藤沢という新たなる土地とはいえ、君も慶應義塾大学の一員になったことに違いありません。私が入学した当時は戦時中ですから、殺伐とした風潮で、軟弱が嫌われ、文より武が尊ばれていました。だから私は慶應義塾大学が世から軟弱に思われているということで肩身の狭い思いをしていました。おめでとうといわれても嬉しくないというのが本心でした。まして医者になりたかった私には、経済学のような金儲けの学問(当時はそう思っていたのです)をする気はなかったのです。

しかし、私は、すべてが軍の統制のもとで画一的に教育をする学校はたまらなく不愉快でした。もっといろいろな考え方が許されていいと思っていました。そんな気持ちの私は、自由主義の精神を軍国主義の風潮の中で少しでも守り通していた慶應義塾に憧れていました。『福翁自伝』を読み、『学問のすすめ』を学ぶことは、一つの救いでもありました。でも不思議なことに、慶應義塾ではほとんど福澤先生の話を聞きません。もちろん折にふれて断片的には耳に入りますが、むしろ塾では福澤先生を遠くみているようです。

しかし卒業後、福澤先生の言葉の一つ一つを自分の行動の基準にできる塾員の幸せを知るはずです。福澤先生は明治維新を通じて、西洋に遅れた日本の将来を慶應義塾に託したといえましょう。『この塾のあらんかぎりは、大日本は世界の文明国である』今、日本は大きな変革の時代に直面しています。共産圏の西側への急速な傾斜。EC統合、アメリカのヘゲモニーの低下、そして日本の国際的責任の増大は今や二十世紀の終わりを示しています。この変貌に対応するに当たって、過去のやり方がどこまで有効なのでしょうか。経済学が金儲けの学問ではなく、社会の貧困を癒す学問だと知って私は医学部と同じように強い関心を持ち、経済学部へ入学することを喜んだものです。ところが最近はこの二十世紀の大きな変貌に直面して、『経済学に何ができるのか』『経済学は現代の問題を解決できるのか』といった評論や本のエコノミストによって出されるようになりました。

そうなのです。経済学は社会の貧困を治癒する学問として、社会のメカニズムを解明することにより、社会科学の王者としてその地位を高めてきました。しかし石油ショックが起こり、環境問題が重要となり、先進国と途上国との格差が拡大するにつれ、経済学の限界が浮き彫りになってきました。

経済学は、効率を追求するという、いわば経済算術にはすぐれた分析力と解決力をもっています。しかし、社会の現象は経済算術だけで解決することはできません。経済算術は私たちの最低の基礎を確立するものですから、これを軽視してはなりません。しかしこの原則を損なわない限りにおいて、私たちは経済以外の原則にも目を配らなければいけません。政治の動き、法律の役割、そして文化・芸術・社会問題など、いろいろな考え方が関連してきます。その複雑な要因の組み合わせを分析し、解決していくには、既存の学問はもちろん役に立ちます。しかし私たちは、それらの学問の蓄積を、一つの視点から総合してみるという訓練に欠けていたようです。そこで、日本の行政を見てすぐ気がつくことは、一つ一つの省庁は実によく考え、勉強していますが、それぞれの省庁に相互に関連した問題になると、それは管轄外ですといって知らぬ顔をしたり、自分の省庁の立場だけから問題をとりあげますから、各省庁ごとに同じことを重複してやることになります。地域活性化政策だけでも各省庁から八十の政策が公表されています。『下手な鉄砲も数打てば当たる』といってもちょっとひどいですね。臨海地域の開発は運輸省(現・国土交通省)の管轄で、住宅建設は建設省(現・国土交通省)の管轄ですから、美しい港に住宅は建たないことになります。外国では、美しい海を眺めながら人々が住んでいますね。

こうした問題を解決してゆくことは一つ一つの省庁ではできません。

それと同じように、社会の問題も、一つ一つの学問が別々に扱われていたら解決はできません。総合政策学部というと、経済学部なのか政治学部なのか社会学部なのか判らないと思う人がいたら、その人達は過去の学問に囚われた人達です。今日本では、地価上昇が問題になっていますが、これを解決するには経済学も必要です。政治学も必要です。法律も知らなければなりません。風土や文化も考えなければなりません。都市工学も知っていることが望まれます。それを取り上げるには総合政策しかないのです。(中略)

とくに二つの学部では、人工言語と自然言語を重視します。それは二十一世紀を生きる君にとって、どうしても身につけておかなければならない二つの用具だからです。おそらく二十一世紀には、人工言語を用いるコンピューターは今の私たちにとっての電気やガス、電話と同じくらい当たり前の用具になっているでしょう。このコンピューターに人間が使われないよう、人間が使いこなすようにするためには早く身につけておくことです。コンピューターの作り方は判らなくても使うことはできます。そのルールを知っておけばいいのです。自然言語は君の思っていることを、他の人、とくにこれからは世界の人に判ってもらわなくてはなりません。外国人は日本に来て半年もすると日本語を話します。日本の学校教育ではどうして自己を外国語で表現できないのでしょうか。仕方なく学生は会話学院に通わなくてはならなくなります。これは無駄なことです。湘南藤沢の新学部は一か国語を二年間で必ず話せるようにインテンシブ(集中授業)で教育します。

こうして情報化と国際化を二年間で身につけてしまえば、あとは問題を取り上げ、それを分析し、総合し、解決策をデザインするという手法を学んでもらいます。従来の大学は教師の興味にしたがって講義してきました。この学部では既成の学問が積み上げてきたルールや結果を伝達していきます。コンピューターの作り方を知らなくても使うことができるのです。そしてそれぞれの学問がつくりあげてきた遺産を整序することによって、総合的に判断し、選択する力をつけることになります。これが総合政策なのです。

例えば私たちは、過去の歴史を学ぶのではなく、過去の歴史を学んで君がもしその主人公だったらどうするのかを考えたいのです。同じことをするのか、それとも違った選択があるのか。その判断・選択のどちらが正しいのかを君は必要な情報で調べてください。そのためにはラップトップを使って、内外の図書館との連絡で情報を得ることができます。講義が終わったら、共同研究室で友人と語り合ってください。TA(大学院生アシスタント)が君の話し相手になってくれます。どうしても判らなかったら、教授の研究室はすぐ近くにあります。訪ねてみましょう。

図書館も二十四時間体制をとっています。

入学と同時に約十五名前後のグループに教師がそれぞれ担当者となる、いわゆるチューター制をとっています。これはオックスフォードと比較される慶応義塾とはいえ、今までやれなかったのですが、新学部はこれに挑戦しています。総合政策学部は、既存の学部の蓄積を大切にしながら、社会の問題をいかに分析し、どうすれば解決できるかを追求しようとする新しい学問をめざしています。既に欧米にはそうした学問が力を増してきているのに、残念ながら、既存の学部ではそれができなかったのです。

とくに日本で総合政策学が必要とされている分野は三つあると思います。

第一はすでに述べたように、行政の分野です。政府の取るべき政策はもちろんのこと、地方自治体こそが今最もそうした人材を求めています。

第二の分野は企業です。もちろん社会の変化に一番早く対応しなければならないのが企業ですから、企業はそれをやるために総合的判断のできる人材を求めています。既存の大学はそれに対応できなかったので、企業は採用してから教育訓練をしています。しかしそれでは遅すぎるし、企業目的だけの教育になってしまいます。企業にとらわれず広い視野をもってこそ、真の総合的判断ができるのです。しかも今、社会は企業の社会的責任・貢献を求めています。非営利的経営が増加しています。財団、病院、文化会館などがその例ですが、しかしこれらが赤字経営しか考えていないとしたら、それは日本の損失です。総合政策の学問が必要とされています。

第三の分野は国際社会です。ODAにしても国連にしても、日本では官僚が日本の代表として省庁の利益を守ることに汲々としています。これでは国際貢献はできません。総合的判断がなされていないからです。今世界は、いろいろな言語で世界に日本人の考え方を伝えてくれる人を求めています。しかしいくら言語ができても、そのバックボーンとしての学問がなければ、皮相な日本人になってしまいます。

総合政策学を学んだ君は自信をもって世界の舞台に出ていけるでしょう。日本の行政のセクショナリズムを正してくれるでしょう。

そして、日本の企業が私利私欲ではなく社会的存在としてどうあるべきかを示してくれるでしょう。

福澤先生のつくられた慶応義塾は、教師と学生が一体となって勉学に励む大学でした。新学部は、その精神を湘南藤沢の地に実現したいと願っています。君がその第一期生になったということは、君がその新しい学部をつくる一員となったことです。

新学部はその他の既存の学部にない新しい手法を導入しています。しかし一つだけ既存の学部にどうしても追いつかないものがあります。それは歴史と伝統です。その歴史と伝統は既存学部から学んで私たち教職員と一緒になって新しい歴史と伝統を創ってください。君はそのパイオニアなのです。大学に通うことが楽しくなるような学部を作りたいですね。そのための準備を私たちはしてきました。あとは君自身の意欲だけです。」

当時の現在の社会は異なっている部分があるので、この言葉全てが今に当てはまるとは言えませんが、当時の学問・社会に存在していた問題を強く提起している気持ちがうかがえます。次回二つ目の言葉を紹介します。
 


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