第9回:初代総合政策学部長の言葉2

SFCの理念を表す初代総合政策学部長の言葉

 
前回に引き続き初代総合政策学部長加藤寛さんの言葉です。これは彼がSFCを去るときに残したものです。

 

 「・・・四年前のことを、皆さんもビデオなどを見て思い出したかと思うんですが、当時のキャンパスには何もなかったんですね。メディアセンターもなくて、そして野原の中に草ぼうぼうというかんじでした。その中をだらだら坂を登ってくるわけですが、その両側にチャイニーズタローという木を植えたのでタロー坂という名にしようじゃないか、なんて話をしました。(中略)そのチャイニーズタローの坂をずっと上がっていきますと、石段がありましてその石段を一歩一歩あがっていく。そしてその脇を川が流れている。その水に自分の身を清めて、そして学問の殿堂の中に入っていくのだ、っていうイメージをいつも私はもっていました。もっとも、あの、石段を一歩一歩って言いましたが、あれ一歩一歩じゃ歩けないところがいやなんだけど・・・。(場内爆笑)

しかし、いずれにしても、ギリシャ神殿のような建物が見えてきます。実に素晴らしい。

そして皆さんご承知のようにこのキャンパスはすべてギリシャ読みになっていますよね。ギリシャ読みっていうことで、消防署と喧嘩をしました。消防署に言わせると、いざ火事という時に『アルファ館』なんて言ったって判らないというのです。そこでまあ仕方なし二重読みにしながらやっていきましたが、だんだんなれてきて、あれ、カッパ館などすぐ覚えられました。梅垣さんが言ったんです、あれ、κでカッパと読むんだよ、と。丁度、池があるから、河童が住んでいるからカッパ館だなんて。しかもなんとなく梅垣さんが河童に似てたもんだから、カッパ館という名前が頭に残ってしまったんですが・・・。

その他、イオタとかイプシロンとかいっぱいあるんですが、そしてオメガ館があって、それが全体としてギリシャの町をつくっているような、来た人が皆、ギリシャの神殿のようだと、こう言ってくれるんですね。私はそれが嬉しくて・・・。

ギリシャというのは皆さんご承知のように学問発祥の地であります。

その学問発祥の地というのがアテネなんです。

アテネは皆さん知っているから詳しくは言いませんが、ご承知のようにアテネという女神がいるわけです。その女神が世界の王様・ゼウスの頭から出てきたわけですが、文武、そして知恵の働く優れた女神だった。

それがアテネという名前でありますが、それをローマ語の読み方では『ミネルバ』と呼びますね。

アテネの守護神はこの女神・ミネルバであると言われています。

したがって、アテネの森をミネルバの森と呼ぶわけです。そのミネルバが大変愛した動物というのは梟であったと言います。梟というのがミネルバの森にたくさん住んでいて、そのたくさん住んでいる梟たちが、日が暮れて先が見えなくなってくると、一斉に飛び立って、そして世界の暗闇を一斉に照らす、と。道筋を示すために飛んでいくのだ、と。

これがギリシャの学問の発生と言われています。

私はまさにこの学校が、ギリシャの学問の発祥の地であると、そういっても構わないと思っているんですが、その学問発祥の地のキャンパスの森。その森が、皆さんがたご承知のようにこの裏側に神社があるんですが、その神社に慶應義塾がそれを立て直しましたので大きな石碑がありまして、そこに『慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスがここに始まる』と書いてあるわけですね。その石碑を、私達が来る前からここに住んでいた、梟のようなかたですが、その清水さんが一生懸命説明してくれた時に、私はすごいところだなあと思い、ミネルバの梟というのがそれから好きになりまして・・・・

梟というのは、ようするに真っ暗闇の世界に、自分達の行く道を探して、世界に飛んでいって、そして夜明けが来るのを待っている。こういうのが梟なのだなとそのとき感じたのであります。

私はこのキャンパスというものは、まさにそうしたギリシャの学問の発生の地であるという気がしております。そこで私は皆さんが一年生として入ってきた時にまず言ったはずです。『一年生になった皆さん、まずびっくりしてください。驚くことから学問は始まるんですよ』この言葉はカーライルのものでありますけれども、学問はまさに驚きから始まります。そのことを、私は皆さんがたがどう分かってくれるだろうかと思っているうちに皆さん方はどんどんどんどんそれを身に付けて、そして一年生になって驚き、二年生になってどうしてこんなことがあるんだろうと考え、三年生になってそれをどうやったら解くことが出来るかと考え、四年生になったらそのデザインをつくって、いよいよ皆さん方は卒業します。

卒業式は昨日終わりました。このテイクオフラリーは卒業式ではないんです。

日本の世界も今、真っ暗闇です。これから皆さんは梟となって、その真っ暗な闇の中で、目を光らせて、そして飛んでいってほしいんです。皆さんが他の梟が、どんどん飛んでいってくれれば、きっと日本はよくなります。そう私は思っています。(涙声)

このキャンパスは、学生も教職員も皆が一緒になってつくったものです。そのつくったキャンパスがおそらくこれからの日本の発祥の地になると私は信じています。

皆さんがた、私はもう涙が出てしまうからいえません。この学園を去るにあたって、皆さんにぜひ、その最初の一年のときに味わった気持ちをどうかこのキャンパスに残していってください。そして、翼が疲れたら、またこのミネルバの森に戻ってきてください。そしたら、皆さん方はきっとここでまた憩いを得て、そしてその憩いの上に立ってまた日本のために、将来をつくってゆくことができる。そういう人類と地球を、私たちはつくりたい。――このような気持ちを持っております。そうして皆さんがたに、常に、新しい日本の学問はこうなんだということを伝えていきたいのです。

私は、大学の改革には、三つがなければいけないと言っています。

それはまず、大学の理念を変えなければいけません。今の日本の大学には理念がありません。理念なき大学は滅びます。

そして二番目に、私達は制度の改革をしなければいけません。制度をどんどん新しく、自由に、そして何でもできるんだ――そういう形の方向に持っていかなければいけません。規制撤廃こそ、私は、大きな道筋だと思っています。

そして三番目に、私たちはいろんな交流を通じて、その大学の中にいろんなソフトをつくっていかなければなりません。

しかしこんなことを、私がこのキャンパスができる十年前くらいに『新しい時代の高等教育』という本を書きました。その本を書いていたときには日本でこれが実現できるとは思っていませんでした。幸いにして私は幸せ者でした。たまたまそのようなチャンスが与えられました。

そしてその私の考えていることに、皆さん方みんな積極的に協力をしてくれました。

三田ではできなかった改革がここではどんどん進みました。私などが考えていることよりも遥かにすばらしいアイデアがどんどん生まれました。そのような素晴らしい先生方を指導者とし、そして皆さんがたがやる気になって大いにやることはやろうじゃないかといって努力してくれたこと。それが、私は今日のSFCをつくりあげた――こう思っています。

このSFCには、今度、いずれ相磯先生がお話しになると思いますけれども、そのゲストハウスとセミナーハウスの向こう側に、大きな、また建物ができるでしょう。これは国がマルティメディアの開発をやっていくために、そのソフトの開発のために、アメリカに比べて十年は遅れています、その遅れているものを追いつこうとするために、その追いつくことのできる場所はどこか、日本中探してみたならば、このSFCしかなかった。だから、国がお金を出してSFCにそれをやってくれ、といって頼んできました。森ビルの森さんもいろいろ考えた。東京大学とか一橋大学とか東工大とか、いろいろ考えたけれども、やっぱりSFCのようにソフトとハードを両方やっていけるような大学。学問をつくっていこうとしている学校はないということから、あの森さんがここに大学院を寄付してくれました。そして今や国もそれを認めることになって、このSFCに、明治以来始めて私学の中に国がお金を投下して教育を進めてほしいと言ってきました。

そこまでSFCが認められたのは、私たちの力ではありません。

それは皆さんがた卒業する四年生の方たち、そして在校生の人達、皆が一つ一つが自分達がやるべきことは何かと考えて努力してくれたその成果であると私は思っています。

これから、その成果を生み出した力を、これからも皆さんがたがつくってくれて、真っ暗闇な日本や世界に、梟のように、皆さんの知識を、そして頭脳をどんどん広げてください。私は大学を去るわけではありますけれども、もちろん若干のお手伝いはしますけれども、私自身はもう講義することはなくなりました。講義というか、大学で広い教室で講義をすることはなくなりました。

あるかたが、私に最終講義を、というふうなお話をくださいました。

しかし私は最終という名前を付けた講義をするつもりはございません。

私は、一生、死ぬまで教師です。

そして、何とかして、少なくとも私が日本に生存する限りは、日本にそして皆さんがた後輩、あるいは子供達や孫達が喜んでくれるものを何とかひとつ残したい。こう私は念願しています。しかしそれは私の単なる高言かもしれません。皆、私がいろんなことを言いますと、あ、また大ボラを吹いてる、と言う人もおります。しかし、皆さん、大ボラを吹いたようだけれど、あの横浜から地下鉄が通って、そして慶應義塾の前に来て、そしてそこから今度は新厚木までつながって新幹線で五分で行けるようになりますよ、東京だって名古屋だってすぐ行けるようになるんですよ、そうやって新幹線や地下鉄が通るんですよ、何てことを言ってきました。もちろん私だって、そんなものが十年以内にできるとは思っていません。しかし、それはしかし着々と、やっぱり進むんですね。今や湘南台まで地下鉄が来ることになったんです。まだ門の前までは来ておりません。それを見るまで私は死ぬことができません。そして、皆さんがたもどうかそれができる時までSFCが発展をしている姿を是非見守ってください。

卒業する皆さん方、疲れたらこのミネルバの森に戻ってきてください。

そして、私たちと顔が合ったら、また心をお互いに開きあって、話そうではありませんか。昨日私は卒業式に出ておりましたが、(中略)私が本当に驚いたのは、あの時あの高橋君が壇上でSFC三田会をつくりましょう、賛同してくれますかと言って、皆が賛同したその時に、あの高橋君が泣いたんです。(中略)なんていったって、鬼の高橋という感じでございます。私は感激しました。こんなに高橋君が愛してくれるSFCそれをつくったのは皆さんがたの力だったんだってことを私はその時、じっくりと感じました。

皆さん方、一年の計を立てるなら種を蒔けばいいんです。十年の計を立てるなら木を植えればいいんです。百年の計、はかりごと、計画をしようと思うなら、人を育てるしかないんです。皆さん方はその私が考えていた以上にものすごく育ってくれた。ものすごく私の期待に応えてくれました。しかしそれは私のためでもなければ、皆さん方がそうやってやろうと言ったわけでもありません。

しかし、このキャンパスの雰囲気が、そして先生方が徹夜になって皆さん方を指導してくれました。ある先生がコンピューターができない学生を前にして一生懸命に教えてくれました。その学生はその先生が誰だかよく知らなくて教員プロフィールを見たら、凄い先生だってことがわかりました。こんな偉い先生が自分と徹夜になって教えてくれたことに感激して私に手紙をくれました。こんな凄い先生がいる学校に自分は入れて本当に幸せだったとその学生は伝えてくれました。こういう話はきりがありません。だからこそ、SFCこそが本当の大学なんだ、本当の大学は本当の学問をつくり、制度を変え、そして新たなる教育をやっていくんだということを私は声高らかに世の中の人に訴えたいと思っています。

ミネルバの梟の皆さん方、是非羽ばたいてください。

そして、真っ暗な日本や世界に光を灯してください。

・・・・どうもありがとう」

 

SFCはただ単に「従来の学問領域を超えた学問の実践」のみならず、ブランド依存・官僚体制化しがちな従来の大学体制を改め、常に時代に即して変わりゆく存在としても価値あるものであり、加藤さんはそれら全てに対する思いを熱く語ったのでしょう。

涙を目に浮かべながらの一言一言は場内全体を感動の渦に巻き込みました。このスピーチはSFCの立ち上げ時を経験した学生に今でも語り継がれている伝説のスピーチであると言われています。この言葉を胸に、「絶えず社会に即応して変わり続けていくものとしてのSFC」をこれから永遠に創っていけたらと思います。
 


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