第139回:エッセイを読んでほっこり

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 こんにちは。もうすぐAO入試の筆記試験ですね。不安でいっぱいでしょうが、自信を持って臨んでくださいね。落ち着くことが一番!

 今回はブログを書いていて思うことです。この3年間半、家で愛用のパソコンを前にして、うーんうーんと唸りながら文章を書いてきました。時にはネタ切れで思い悩み、時には書きたいことがうまく言いあらわせず悶々としたりしていました。ネタ切れはまぁいいのです。解決方法というか、アンチエイジングな私のしわのない脳でも自分なりに考えて伝えたいことがあるので、問題はむしろそれを上手く表現できないことにありました。文章を書くにあたって自分の言いたいことが相手に伝わっているか。書いていることの50%も通じていないのではないか。そこで私は考えました。何事も先人の知恵を学ぶに限る、と。そしておもむろに本屋へ出かけてエッセイを買いあさったのです。

 思えば今まで読む本は偏っていました。小説ばかり好み、それ以外には目を向けていませんでした。ある時は恋愛小説にきゅんきゅんし、またある時は時代小説の茶屋の娘に共感していました。そんな私もとうとう小説以外のジャンルに手を出す日が来たのです。そして買いあさったエッセイを片っ端から読んでいった感想は、どの作家も基本的には読者に関係ない「どうでもいいこと」を書いているということです。例えば、村上春樹の『おおきなかぶ、むずかしいアボカド』というエッセイ集があります。大好きなエッセイ集なのですが、内容はイタリアで運転したんだけど路が狭くて怖かった、とかそういったものです。絲山秋子の『絲的炊事紀』も然り。絲的炊事紀は群馬に住んでいる絲山さんが地元の食材を使って、奇怪な、でもおいしそうな創作料理をつづったエッセイです。でも「どうでもいいこと」なんだけど、読むとほっこりした気分になる。不思議です。

更新:2011-10-22
早稲田大学 国際教養学部(SILS) 小林 綾