第46回:詩の授業

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 こんにちは。先日大学へ行ったら受験生の方でいっぱいでした。頑張ってください!

 さて、SILS徒然コラム第46回目は、詩の授業を紹介します。英詩の授業が受けたいと思っていたら、ちょうどEnglish Poetry Culture and Societyというクラスがありました。小学校、中学校の時には詩には興味がなく、難かしくてわからないと思っていました。詩は難解だと決めてかかっていたため、読む前から戦闘態勢。読んでも首をひねりながら、やっぱりわからん、と思い敬遠するという悪循環に陥っていました。

 でも、そんな詩の印象を180度変える授業に高校で出会いました。英詩にはリズム、頭韻、脚韻、比喩、他にも多くの言葉遊びが使われているのだと教わってからは、この詩にはどんな詩人の遊び心が含まれているのだろう?と一種の謎解きをしている気分で読むようになりました。詩には長いものもありますが、ほとんどは端的に巧みな文章で作者の言いたいことが表現されています。上手い言葉遊びによって短いながら多様な解釈ができるよう工夫されています。長くだらだらとしているものよりも、短くすっきりとしている方が私の好みなので、詩は私の性分にあっています。この短さが潔くてよいと思い、それからは詩を好んで読むようになりました。同様の理由から俳句も好みます。英詩だけでなく、日本語の詩、俳句を見つめ直してみると、やはり面白い比喩表現や言葉遊びが使われています。和歌には掛詞という表現方法があります。掛詞=同じ音の言葉に二つ以上の意味を持たせる表現方法、です。古くから使われていて、例えば小野小町の有名な一首

 花の色は移りにけりないたずらに我が身よにふるながめせしまに

では、「夜に降る長雨」と「世に経る眺め」が掛けられています。ふむふむ。掛詞って要は洒落、ですよね。小野小町の歌ではなんだか洒脱な雰囲気があるけれど、「アルミ缶の上にある蜜柑」は同じ洒落でも駄洒落だなぁ。笑点で、楽太郎師匠がいう洒落は駄洒落ではなく、さすが上手いな、座布団一枚!と思わせる何かがある。詩を読んでいても、うーん、頭がいいなあと思う文章表現に出会うと何だか嬉しくなります。だから、ふんだんに言葉遊びが使われている詩に惹かれるのかもしれません。

 詩の授業紹介をしようとしていたのに、詩についての文章で終わってしまいました。次回は、きちんと授業紹介したいと思います。それでは、また来週。

早稲田大学 国際教養学部(SILS) 小林 綾