第92回:言語への姿勢

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 授業を通して一番印象に残ったのは、いかにこの言語を使う人達が自分たちの言葉を大切にしているかということです。言語は文化の一部であり、その話者のアイデンティティーの一部でもあります。その言語を学ぶということは、使うということは、その文化を学び、理解するということです。教授は、君たちの人生において大きな意味を持たない言語であっても、その言語を学んでくれたということは私たちにとっては本当に意味のある重要なことなんだ、ありがとう、と繰り返し仰っていました。こんなにも自分の言語を大切にしている人達が世の中にいるのだ、と知ることができただけでもこの授業をとった甲斐があった気がします。

 私たち日本人は、この先住民たちのように言語を大切にしているでしょうか。確かに、彼らの言語はendangered languageと呼ばれ、話者が少ないため特に注意を払い大切にする必要があります。しかし、教授を見ていて私は日本人としていかに日本語に対して敬意をはらっているか、ということを考えた時、とても反省しました。カタカナ語の氾濫は昔から叫ばれてきたことですが、私のこの記事にもカタカナ語は非常に多く出てきます。正直、カタカナ語なしで文章を書くのはほぼ不可能に近いです。それでも、なるべく和語を使うようにしたり、正しい日本語を使うようにする努力は必要なのかもしれません。

 言語は変わります。それは昔からそうだったし、これからも変わり続けます。しかし、それは決して言葉の過った使い方が許される、和語がゆっくりと消えていくのを「言語の自然の摂理」と捉えて野放しにする、ということではないと思います。和語には和語特有の語感があり、文化が含まれているのですから。この先住民の言語を学ぶ授業は、ただ言語を学びコミュニケーションをとるだけでなく、言語に対する姿勢というものも教えてくれた授業でした。

早稲田大学 国際教養学部(SILS) 小林 綾